仁和寺 概要

仁和寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/03 04:34 UTC 版)

概要

皇室とゆかりの深い寺(門跡寺院)で、出家後の宇多法皇が住んでいたことから、「御室御所」(おむろごしょ)と称された。明治維新以降は、仁和寺の門跡皇族が就かなくなったこともあり、「旧御室御所」と称するようになった。

御室はの名所としても知られ、春の桜と秋の紅葉の時期は多くの参拝者でにぎわう。『徒然草』に登場する「仁和寺にある法師」の話は著名である。当寺はまた、宇多天皇を流祖とする華道「御室流」の家元でもある。

普段は境内への入場は無料であり、本坊御殿・霊宝館の拝観のみ有料となる。ただし、御室桜の開花時(4月)に「さくらまつり」が行われ、その期間は、境内への入場にも拝観料が必要となる。

宿坊で宿泊客を受け入れている。御室会館[1]のほか、「松林庵」(しょうりんあん)を改修して[2]高級宿坊としている[3]

歴史

仁和寺は平安時代前期、光孝天皇の勅願で仁和2年(886年)に建てられ始めた。しかし、光孝天皇は寺の完成を見ずに翌年崩御し、その遺志を引き継いだ子の宇多天皇によって仁和4年(2024年)に落成した。当初「西山御願寺」と称され、やがて元号をとって仁和寺と号した。

仁和寺の初代別当は天台宗の幽仙であったが、宇多天皇が真言宗益信を戒師として出家したのを機に、別当を同じ真言宗の観賢に交替させた。これによって当寺は真言宗の寺院として定着した。

出家した宇多天皇以降、当寺は皇族の子弟が入る寺院とみなされるようになった[4]。仁和寺はその後も皇族や貴族の保護を受け、明治時代に至るまで、覚法法親王など皇子や皇族が歴代の門跡(住職)を務め、門跡寺院の筆頭として仏教各宗を統括した。非皇族で仁和寺門跡になった人物に九条道家の子法助足利義満の子法尊の2名がいるが、ともに当時の朝廷における絶対的な権力者の息子でかつ後に准后に叙せられるなど皇族門跡に匹敵する社会的地位を有していた。

室町時代にはやや衰退していたが、応仁の乱1467年 - 1477年)が勃発すると、東軍の兵によって焼かれ、伽藍は全焼した。ただ、被害を被る前に本尊の阿弥陀三尊像は運び出されており、焼失を免れている。

この後、仁和寺は本尊と共に、双ヶ丘の西麓にある西方寺へ寺基を移している。

天正19年(1591年)、仁和寺は関白豊臣秀吉によって860石の朱印地を得、次いで元和3年(1617年)に江戸によって1,500石の朱印地を得ている。

『仁和寺御伝』によると、寛永11年(1634年)7月24日、仁和寺第21世覚深法親王は上洛していた将軍徳川家光に仁和寺の再興を申し入れ、承諾されている。これにより、仁和寺は幕府の支援を得て伽藍が整備されることとなった。また、寛永年間(1624年 - 1645年)の御所(現・京都御所)建て替えに伴い、御所の紫宸殿清涼殿、常御殿などが仁和寺に下賜され、境内に移築されている。

この江戸期の再建に際しては、門跡補佐の僧・顕證が仁和寺で使われている仁和寺の寺号入りの軒丸瓦のデザインや、再建される伽藍の配置構想や金堂に祀る仏像の選定などを行っている。また、経典密教経典の儀軌などの聖教、仁和寺に伝わる古文書の管理・収蔵のために経蔵の建立を発願し、完成させている[5]。霊宝館に顕證上人像が収蔵されているが、小さく、衣体も顕證が普段使用していた袈裟を身に付けているという。

慶応3年(1867年)以降、皇室出身者が当寺の門跡となることはなかった。ここに当寺は宮門跡「御室御所」としての歴史を終えた。

太平洋戦争での日本の敗戦が濃厚となった1945年昭和20年)1月20日以降、数度にわたり、近衛文麿が仁和寺を訪れ、昭和天皇が退位して仁和寺で出家するという計画について当時の門跡と話し合い、出家後の居所などを検討している。1月26日、近衛文麿の別荘陽明文庫において、文麿と昭和天皇の弟宮・高松宮宣仁親王との間で、昭和天皇の出家について会談がもたれた。霊明殿に掲げられている扁額「霊明殿」の文字は、文麿が仁和寺を訪れた際に揮毫した絶筆である[6]

1946年(昭和21年)、真言宗御室派が大真言宗から分離独立し、仁和寺はその総本山となった。

仁和寺の南西には光孝天皇後田邑陵(小松山陵)があり、また北には光孝天皇御室陵墓参考地がある。さらに北に行くと大内山に宇多天皇大内山陵があるが、この場所は金堂から見て真北にあたる。

仁和寺歴代門跡

伽藍

南庭、勅使門
北庭、宸殿
中門
  • 金堂(国宝)- 慶長18年(1613年)に建立された京都御所の正殿・紫宸殿寛永年間(1624年 - 1644年)に移築したもので、近世の寝殿造遺構として重要。現存する最古の紫宸殿である。宮殿から仏堂への用途変更に伴い、屋根を檜皮葺から瓦葺に、梵天像、竜灯鬼、天灯鬼などが安置されている[7]。須弥壇の周囲には極彩色の浄土図が、背面(裏堂)壁には木村徳応筆の五大明王壁画が描かれている。
  • 経蔵(重要文化財) - 寛永18年(1641年)から正保2年(1645年)の再建。禅宗 様建築。輪蔵が設けられ、計768もの経箱が収蔵されている。
  • 鐘楼(重要文化財) - 寛永21年(1644年)再建。
  • 水掛不動尊 - 近畿三十六不動尊霊場第14番札所。
  • 御影堂(重要文化財)- 寛永18年(1641年)から正保2年(1645年)の再建。慶長18年(1613年)に建立された京都御所の清涼殿の用材を用いて建立されたもの。宗祖弘法大師、開基宇多法皇、仁和寺第2世性信入道親王の像を祀る。
  • 御影堂中門(重要文化財)- 寛永18年(1641年)から正保2年(1645年)の再建。
  • 令和阿弥陀堂 - 2019年令和元年)建立。永代位牌供養堂。
  • 観音堂(重要文化財) - 寛永18年(1641年)から正保2年(1645年)の再建。
  • 五重塔(重要文化財) - 寛永21年(1644年)再建。総高36.18m。
  • 九所明神 - 仁和寺の伽藍を守る社。当初は境内の南にあったが、建暦2年(1212年)に現在地に移された。
  • 中門(重要文化財) - 寛永18年(1641年)から正保2年(1645年)の再建。
  • 本坊 - 二王門から中門に至る参道の西側、宇多法皇の御所があった辺りに建つ。「仁和寺御殿」と称される。仁和寺御所跡として国の史跡に指定されている。
    • 本坊表門(重要文化財)- 慶長年間(1596年 - 1615年)建立。
    • 勅使門(登録有形文化財) - 京都府の技師・亀岡末吉の設計によって1913年大正2年)に再建された。
    • 皇族門(登録有形文化財)
    • 大玄関(登録有形文化財)
    • 白書院(登録有形文化財) - 襖絵は1937年昭和12年)、福永晴帆によって描かれたもの。
    • 宸殿(登録有形文化財) - 寛永年間(1624年 - 1644年)に京都御所・常御殿を下賜されて宸殿としていたが、1887年明治20年)に焼失し、新たに亀岡末吉の設計により1914年(大正3年)に再建された。襖絵や壁などの絵は原在泉によって描かれたもの。宸殿の南北に配置された庭園とともにかつての宮殿の雰囲気を漂わせている。
    • 南庭(国の名勝) - 白砂で構成されている。
    • 北庭(国の名勝) - 池泉鑑賞式庭園。1690年元禄3年)には加来道意、白井童松ら、明治から大正時代には七代目小川治兵衛によって整備がなされている。
    • 黒書院(登録有形文化財) - 花園にあった旧安井門跡の寝殿を移築し、安田時秀の設計で改造して1909年(明治42年)に建立された。襖絵は1937年(昭和12年)、堂本印象によって描かれたもの。
    • 霊明殿(登録有形文化財) - 亀岡末吉の設計によって1911年(明治44年)に建立された。扁額は近衛文麿の筆。仁和寺の院家であった喜多(北)院の本尊・薬師如来坐像(秘仏)を安置する他、仁和寺歴代門跡の位牌を祀る。
    • 鎮守社
    • 土蔵
    • 茶室「遼廓亭」(重要文化財) - 寛文元年(1661年)から寛延3年(1750年)の間に、江戸時代の画家・尾形光琳の屋敷から移築された。葺下し屋根の下に袖壁を付け、にじり口をその中に開いているのが珍しいとされる。茶室「如庵」とも似ているという。
    • 茶室「飛濤亭」(重要文化財) - 文政13年(1830年)から慶応3年(1867年)に建立。光格天皇の好みで建てられた草庵風の茶室で、腰をかがめずに入れるように鴨居の高い貴人口が設けられている。
    • 寺務所
  • 霊宝館(登録有形文化財) - 創建当時の本尊である阿弥陀三尊像などが展示されている。
  • 御室会館 - 宿坊。
  • 松林庵 - 高級宿坊。一泊100万円で有名である。
  • 東門
  • 二王門(重要文化財) - 寛永18年(1641年)から正保2年(1645年)の再建。和様建築。

御室八十八ヶ所霊場

御室八十八ヶ所、一番霊山寺

御室八十八ヶ所霊場は、仁和寺境内の成就山に四国八十八箇所霊場を小規模に再現した巡礼地である。各札所には小規模な堂が設けられており、それらが約3キロメートルの山道に沿って点在している。88宇の堂には実際の四国八十八箇所の札所の寺院と同じ本尊と弘法大師を祀ってある。成就山八十八ヶ所とも称される。

文政10年(1827年)に、仁和寺第29世門跡であった不壊身院御室・済仁法親王が、四国八十八箇所を巡拝できない人々のために発願し、仁和寺寺侍・久富遠江守に命じて四国八十八箇所各札所の砂を持ち帰らせ、仁和寺境内の成就山に四国八十八箇所を模して同じ数の88宇の堂を設けて、持ち帰らせた砂を設けた堂に埋めたことが起源とされる。

現在は一般向けに「京都でできる、一日お遍路。」と称し、四国八十八箇所の写しである札所を約2時間の行程で全て巡ることができ、これを結願(けちがん)成就すれば四国八十八箇所霊場巡礼と同じご利益を得ることができるものとして案内されており、ウォーキング、ハイキングのコースとしても楽しめるようになっている。仁和寺主催で「仁和寺 成就山八十八ヵ所ウォーク(旧、「御室 仁和寺 成就山88ヵ所スタンプハイク」)も行われている。参拝道は自然があふれ、途中、数か所設けられている絶景ポイントから眼下に広がる京都市内が眺められ、晴れた日には遠くは伏見付近を望むことができる。

御室桜

御室桜

仁和寺のには特に「御室桜(おむろざくら)」の名が付いており、境内の一部にある桜林は国の名勝に指定されている。

江戸時代から名高く、貞享元年(1684年)の『雍州府志』には「今御室清水為一双」、享保3年(1718年)の貝原益軒の『京城勝覧』には「春は此御境内の奥に八重ざくら多し。洛中洛外にて第一とす」と絶賛されていた。

約200本あり、八重咲き。樹高が低いのは、この地の岩盤が固く、深く根を張れないためという。「花(鼻)が低い」ということから「お多福桜」ともいう。このことから京都では、背が低くて鼻が低い女性のことを「御室の桜のような」と評することがあるという。満開は例年4月20日過ぎと遅く、桜の名所の多い京都で季節の最後を飾る。御室桜は日本さくら名所100選に選定されている。

クローン技術による増殖の研究が行われている[8]


  1. ^ 仁和寺 御室会館(宿坊)世界遺産に泊まってみませんか(2018年6月27日閲覧)
  2. ^ 京都世界遺産で旧家再生 総本山仁和寺(にんなじ)「松林庵(しょうりんあん)」建物改修・造園工事を担当住友林業ニュースリリース(2018年4月13日)2018年6月27日閲覧
  3. ^ 「仁和寺 1泊100万円で/世界遺産、境内の旧家屋を改築/高級宿坊、1日1組 海外富裕層狙う」『日経MJ』2018年6月25日(ライフスタイル面)
  4. ^ 横内裕人「仁和寺御室論をめぐる覚書」永村眞 編『中世の門跡と公武権力』(戎光祥出版、2017年) ISBN 978-4-86403-251-3
  5. ^ 平成28年2月12日放送 BS日テレ『冬の京都旅・世界遺産で仏像めぐり!』
  6. ^ 平成30年2月5日放送 BSイレブン『京都浪漫~美と伝統を訪ねる「仁和寺~悠久なる国宝の世界』
  7. ^ 公益社団法人 京都市観光協会 (2023年11月). 第58回 京の冬の旅 非公開文化財特別公開ガイドブック 
  8. ^ 総本山仁和寺にんなじ 御室桜おむろざくら研究プロジェクト:“名勝 御室桜”組織培養による苗木増殖に成功』(プレスリリース)住友林業、2014年3月4日http://sfc.jp/information/news/2010/2010-02-10.html2010年4月4日閲覧 
  9. ^ 2020年9月19日から27日に亘り、霊宝館において特別公開。
  10. ^ 平成22年6月29日文部科学省告示第97号
  11. ^ 平成3年6月21日文部省告示第84号
  12. ^ 平成15年5月29日文部科学省告示第104号
  13. ^ 令和元年7月23日文部科学省告示第26号
  14. ^ 「文化審議会答申〜国宝・重要文化財(美術工芸品)の指定及び登録有形文化財(美術工芸品)の登録について〜」(文化庁サイト、2019年3月18日発表)
  15. ^ 平成13年6月22日文部科学省告示第109号
  16. ^ 平成29年9月15日文部科学省告示第117号
  17. ^ 国宝・重要文化財の指定について(文化庁サイト)
  18. ^ 盗難年次は文化庁文化財保護部監修『文化財保護行政ハンドブック 美術工芸品編』(ぎょうせい、1998)、p.126、による。
  19. ^ 令和3年3月26日文部科学省告示第45号
  20. ^ 文化審議会の答申(史跡等の指定等)について”. 文化庁. 2020年11月25日閲覧。
  21. ^ 京都府指定・登録等文化財(京都府教育庁指導部文化財保護課)。
  22. ^ a b c 京都市指定・登録文化財-美術工芸品-右京区(京都市ホームページ)。
  23. ^ 平成28年3月31日京都市インターネット版公報より京都市教育委員会告示第8号 (PDF) (リンクは京都市ホームページ)。
  24. ^ 京都市指定・登録文化財-名勝-右京区(京都市ホームページ)。
  25. ^ “長時間労働でうつ…料理長、世界遺産の寺を提訴”. 読売新聞. (2014年1月24日). https://web.archive.org/web/20140125133851/http://www.yomiuri.co.jp/job/news/20140124-OYT8T00790.htm 2014年3月4日閲覧。 
  26. ^ “宿坊349日連続勤務 京都地裁が仁和寺に賠償命令”. 毎日新聞. (2016年4月13日). https://mainichi.jp/articles/20160413/k00/00e/040/162000c 2016年12月1日閲覧。 






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