レコード録音とは? わかりやすく解説

レコード録音

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 16:26 UTC 版)

橋本國彦」の記事における「レコード録音」の解説

日本ビクター専属アーティストとして自作指揮した自作自演録音や、ヴァイオリン奏者としてのソロ伴奏録音大量に遺している。1943年5月13日日本人として初めベートーヴェン第九第四楽章のみ)を指揮して商業録音した。尾崎喜八による日本語訳詞で、同年11月新譜として10月に《歓喜の頌》と銘打って発売され年末ラジオ放送でも使用された。指揮者以外のメンバーは、香山淑子(ソプラノ)、四家文子アルト)、木下保テノール)、藤井典明バス)、国立音楽学校合唱団玉川学園合唱団東京交響楽団(現:東京フィルハーモニー交響楽団)である。 他に、日本コロムビア東京音楽学校オケ合唱団指揮した自作カンタータ皇太子殿下御誕生奉祝歌』と、皇紀2600年奉祝曲としてハンガリーヴェレッシュ・シャーンドル日本捧げた交響曲第1番オケ紀元二千六百年奉祝交響楽団)を指揮して録音している。

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レコード録音

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/04 05:16 UTC 版)

クレメンス・クラウス」の記事における「レコード録音」の解説

クラウス同時代指揮者たちに比べて録音非常に少ないが、代表的な演奏以下の通りである。特にスタジオ録音は両シュトラウス偏しており、ベートーヴェン少なさなどはドイツ圏指揮者としては際立っている。ワーグナーブラームス少なく彼の生前には今日のような人気作曲家では全くなかったとはいえブルックナーマーラー残していない。ドイツ圏外の大作曲家についても同様である。こうした人気主流大きく外した録音歴のせいか、ウィーンベルリンミュンヘンドイツ圏三大歌劇場総監督をすべて歴任しウィーン・フィル最後常任でもあったという、フルトヴェングラーカラヤン劣らないキャリア誇った指揮者ながら、日本ではこれに見合った位置づけがほとんど行われていない。たとえば古今指揮者500人を5つランク分けて紹介した音楽之友社ムック指揮者オーケストラ2002』では第5ランクだった。ちなみに同様に録音少なドイツ系故人クラウスほど大型ポスト歴任することがなかったヨーゼフ・クリップスフェルディナント・ライトナーらが第4ランクである。伝記研究書翻訳出版これまで1冊も行われていない。その一方で根強い支持者存在する高崎保男は『こうもり全曲盤に対し数度目の再発売であるにもかかわらずオペラというものがこれほどまでに甘美な悦楽生み出す芸術であったのかと信じ難い思い」などと激烈な賛辞書いている。宇野功芳なども、一見淡々とした中に深いニュアンス香りをこめるスタイル彼の美意識一致することもあり、クラウス録音への絶賛が多い。 ハイドン交響曲88番『V字』(バイエルン放送交響楽団 1953年モーツァルトオペラフィガロの結婚全曲ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 1942年モーツァルトハフナー・セレナードウィーン交響楽団 1950年ベートーヴェン荘厳ミサ曲ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 1940年シューベルト交響曲第8(9)番『ザ・グレイト』(ウィーン交響楽団 1950年メンデルスゾーン劇音楽夏の夜の夢抜粋ウィーン交響楽団 1950年ワーグナー楽劇ニーベルングの指環全曲バイロイト音楽祭 1953年ワーグナー舞台神聖祝典劇『パルシファル全曲バイロイト音楽祭 1953年ヨハン・シュトラウス2世オペレッタこうもり全曲ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 1950年 - 1953年ヨハン・シュトラウス2世オペレッタジプシー男爵全曲ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 1950年 - 1953年) ヨハン・シュトラウス・ファミリー:ワルツ・ポルカ集(ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 1929年および1950年 - 1953年リヒャルト・シュトラウス楽劇『サロメ』全曲ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 1954年リヒャルト・シュトラウス楽劇ばらの騎士全曲バイエルン国立歌劇場 1944年リヒャルト・シュトラウスオペラアラベラ全曲ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 1942年リヒャルト・シュトラウス楽劇カプリッチョ全曲バイエルン放送交響楽団 1953年リヒャルト・シュトラウス楽劇ダナエの愛』全曲ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 1952年リヒャルト・シュトラウス交響詩『ツァラトゥストラはかく語りき』ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 1950年リヒャルト・シュトラウス家庭交響曲バイエルン放送交響楽団 1953年リヒャルト・シュトラウス弦楽のための『変容』と歌曲集前者バイエルン放送交響楽団 1953年後者1952年 ヴィオリカ夫人ソプラノ伴奏したもので、クラウスピアノ聴けるほとんど唯一の音源プッチーニ歌劇ラ・ボエーム全曲バイエルン国立歌劇場 1940年)(数少ないイタリア・オペラの録音ドイツ語による上演プッチーニ歌劇ラ・ボエーム全曲バイエルン国立歌劇場 1951年)(同じくドイツ語上演ミミを歌うのは両録音ともトルーデ・アイッペルレ Trude Eipperle)

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