レコード針の衰退、旧ナガオカの終焉とその後
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「ナガオカトレーディング」の記事における「レコード針の衰退、旧ナガオカの終焉とその後」の解説
1980年代中期になると、音楽メディアがアナログレコードからCDに取って代わられるとともに、ナガオカは主力のレコード針の販売が低迷。起死回生を狙うべく、CD用アクセサリー(CDクリーニング用スプレー、CDクリーニングクロス、12cm/8cmCDプラケースなど)も順次発売していくようになる。従来のカセットクリーニングキット(液体2本組)なども継続販売。またレーザーディスク(LD)部門にも参入しLD用アクセサリーも発売するも、売り上げは伸びず、この頃から、業績は不振を極めることになる。 1990年(平成2年)8月20日、旧ナガオカは業績悪化のため黒字清算。そして、自社でのレコード針の製造を打ち切るとともに、9月、会社を解散。これと同時に、旧ナガオカの営業・販売部門を新会社の株式会社ナガオカトレーディングに、製造部門を山形ナガオカ株式会社(現:株式会社ナガオカ)、株式会社ナガオカ精密にそれぞれ分散された。 ちなみに当時の人気深夜番組『カノッサの屈辱』(フジテレビ、1990年(平成2年)11月12日放送・第27回「狩猟から稲作へ 原始オーディオ文化の黎明」)において、ナガオカが登場している。 なお、旧ナガオカは赤字経営に転落する以前に企業保有の財産及び資本金等を損なう事無く解散の決議を役員会にて決定している。役員会では存続派と解散派の間で激しい議論が戦われたが、代表取締役の判断により解散への舵を切った。戦後から平成年間へ至る現在においても、負債を出さずに解散した極めて稀な企業であり、解散の為、役員及び全社員に全て退職金が支払われている。但し役員保有の株式等における買戻しに関しては事実上最低限の保証に留まった。異論もあったようであるが概ね解散に対する合意の中で取り決められたものであり資金確保の観点から株式保有役員及び関係者が譲歩した形と言える。 解散に至る直前までナガオカの社内では東芝技術陣とのコラボによる新型カラオケ装置の開発やハイスピードカセットダビング機能機器の開発とカラオケの専門ショップの経営等が話し合われており、VHS型ホームビデオ試作機器の製作及び富士カセット技術陣とのコラボによるビデオテープの試作も行なわれていた。特にハイスピードカセットダビング装置に関してはダビングによる音質劣化を殆ど感じさせない製品であったが、著作権の定義が曖昧であった為、発売時期を逸した側面も存在している。新型カラオケ装置やハイスピードダビング機器等は既に製品化目前であり、量産化前の最終機器を横浜等のスナック等に配布し最終試験を行なっている最中であった。ナガオカと東芝の技術陣が試験を行なっていた最終モデルは当時の8トラック型カラオケでは無くカセットテープとCDによる製品であった。ナガオカがカラオケショップへの進出を検討していたのは未だ第一興商等が世に出る遥か以前の事である。 ナガオカでは最終段階においても業績における可能性を模索しつつ事業展開の見直しを模索していたのである。 ナガオカの解散には何段階かのステップが存在し、解散への決定を役員会にて容認した最初の作業がジュエルトーン(ナガオカのオーディオブランド)の吸収であった。 ジュエルトーンは不採算部門ではなかったが既に解散を容認した時点で資本の集中を図り社員の生活と安全を考慮すべきとの判断から独立ブランドであったジュエルトーンはナガオカ製品となりロゴだけが残され解散に至るまで使用された。 同時に豊島区の大塚に存在した本社ビルの売却先の選定及び大月に存在した工場の処遇等綿密に計画された解散処理が粛々と実行されて行った。特に本社ビルは都内において一等地と呼べる場所に存在しその売却先選定に細心の配慮を払った。 また、現在のナガオカトレーディングが供給している一部製品にもジュエルトーンのロゴが使用されている製品が存在していた(主にカートリッジ等)。2009年(平成21年)以降はナガオカのロゴになっている。
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レコード針の衰退、旧ナガオカの終焉とその後
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「ナガオカ (企業)」の記事における「レコード針の衰退、旧ナガオカの終焉とその後」の解説
1980年代中期になると、音楽メディアがアナログレコードからCDに取って代わられるとともに、ナガオカは主力のレコード針の販売が低迷。起死回生を狙うべく、CD用アクセサリー(CDクリーニング用スプレー、CDクリーニングクロス、12cm/8cmCDプラケースなど)も順次発売していくようになる。従来のカセットクリーニングキット(液体2本組)なども継続販売。またレーザーディスク(LD)部門にも参入しLD用アクセサリーも発売するも、売り上げは伸びず、この頃から、業績は不振を極めることになる。 1990年(平成2年)8月20日、旧ナガオカは業績悪化のため黒字清算。そして、自社でのレコード針の製造を打ち切るとともに、9月、会社を解散。これと同時に、旧ナガオカの営業・販売部門を新会社の株式会社ナガオカトレーディングに、製造部門を山形ナガオカ株式会社(現:株式会社ナガオカ)、株式会社ナガオカ精密にそれぞれ分散された。 ちなみに当時の人気深夜番組『カノッサの屈辱』(フジテレビ、1990年(平成2年)11月12日放送・第27回「狩猟から稲作へ 原始オーディオ文化の黎明」)において、ナガオカが登場している。 なお、旧ナガオカは赤字経営に転落する以前に企業保有の財産及び資本金等を損なう事無く解散の決議を役員会にて決定している。役員会では存続派と解散派の間で激しい議論が戦われたが、代表取締役の判断により解散への舵を切った。戦後から平成年間へ至る現在においても、負債を出さずに解散した極めて稀な企業であり、解散の為、役員及び全社員に全て退職金が支払われている。但し役員保有の株式等における買戻しに関しては事実上最低限の保証に留まった。異論もあったようであるが概ね解散に対する合意の中で取り決められたものであり資金確保の観点から株式保有役員及び関係者が譲歩した形と言える。 解散に至る直前までナガオカの社内では東芝技術陣とのコラボによる新型カラオケ装置の開発やハイスピードカセットダビング機能機器の開発とカラオケの専門ショップの経営等が話し合われており、VHS型ホームビデオ試作機器の製作及び富士カセット技術陣とのコラボによるビデオテープの試作も行なわれていた。特にハイスピードカセットダビング装置に関してはダビングによる音質劣化を殆ど感じさせない製品であったが、著作権の定義が曖昧であった為、発売時期を逸した側面も存在している。新型カラオケ装置やハイスピードダビング機器等は既に製品化目前であり、量産化前の最終機器を横浜等のスナック等に配布し最終試験を行なっている最中であった。ナガオカと東芝の技術陣が試験を行なっていた最終モデルは当時の8トラック型カラオケでは無くカセットテープとCDによる製品であった。ナガオカがカラオケショップへの進出を検討していたのは未だ第一興商等が世に出る遥か以前の事である。 ナガオカでは最終段階においても業績における可能性を模索しつつ事業展開の見直しを模索していたのである。 ナガオカの解散には何段階かのステップが存在し、解散への決定を役員会にて容認した最初の作業がジュエルトーン(ナガオカのオーディオブランド)の吸収であった。 ジュエルトーンは不採算部門ではなかったが既に解散を容認した時点で資本の集中を図り社員の生活と安全を考慮すべきとの判断から独立ブランドであったジュエルトーンはナガオカ製品となりロゴだけが残され解散に至るまで使用された。 同時に豊島区の大塚に存在した本社ビルの売却先の選定及び大月に存在した工場の処遇等綿密に計画された解散処理が粛々と実行されて行った。特に本社ビルは都内において一等地と呼べる場所に存在しその売却先選定に細心の配慮を払った。 また、現在のナガオカトレーディングが供給している一部製品にもジュエルトーンのロゴが使用されている製品が存在していた(主にカートリッジ等)。2009年(平成21年)以降はナガオカのロゴになっている。
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