戦後から平成
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/13 17:39 UTC 版)
戸井村には1953年(昭和28年)に戸井村立戸井高等学校(のちの北海道戸井高等学校)が開校し、1955年(昭和30年)には人口が8,041人に達した。1968年(昭和43年)10月1日に町制を施行、戸井町となった。1971年(昭和46年)には東日本フェリーが北海道-本州の最短距離区間である戸井-大間間にフェリーの運航を開始し、これを契機に同1971年に戸井町は青森県下北郡大間町と姉妹町の関係を締結することとなった(詳細は「#姉妹都市」節を参照)。 平成の世となった1998年(平成10年)には開基130周年を迎えたが、2000年(平成12年)には町内の人口が最盛期(1955年)の半分以下となる3,893人まで減少、少子高齢化社会の進展で行政運営は財政的に厳しさを増し、周辺自治体との合併を模索するようになる。折しもこの時期は、1999年(平成11年)の(旧)市町村の合併の特例に関する法律の改正により市町村合併が全国的に進展する、いわゆる平成の大合併の時期であった。さらに2000年9月には北海道庁から「北海道市町村合併推進要綱」が発表され、渡島支庁(当時)地域での合併案が示された。この際第1案として示されたのが、のちに実現する「函館市・戸井町・恵山町・椴法華村・南茅部町」の1市3町1村での合併である。この他第2案として、戸井町には函館市・亀田郡上磯町・大野町・七飯町の1市4町での合併案も示されていた(その後上磯町・大野町は2006年(平成18年)に合併し北斗市となっている)。 合併協議が本格化したのは2003年(平成15年)に入ってからで、先述の北海道市町村合併推進要綱で第1案として示された(旧)函館市・恵山町・椴法華村・南茅部町の枠組みが選択された。まず2月17日に「函館市・戸井町・恵山町・椴法華村・南茅部町市町村合併調査室」が設置されると、4月21日に「函館市・戸井町・恵山町・椴法華村・南茅部町市町村合併研究部会」が、次いで7月31日に第1回「函館市・戸井町・恵山町・椴法華村・南茅部町任意合併協議会」が開催され、協議会は計3回重ねられた。9月に入るとまず恵山町議会が16日に合併協議会の設置を可決したのを皮切りに、椴法華村(17日)、戸井町(24日)、南茅部町(25日)、(旧)函館市(26日)と各市町村議会で順次設置が可決され、9月29日に「函館市・戸井町・恵山町・椴法華村・南茅部町合併協議会」(以下、「合併協議会」)が設置されるにいたった。 合併協議会は2003年9月30日の第1回に始まり同年中に第4回までが開催、翌2004年(平成16年)11月4日の第9回まで行われた。その間2004年3月29日の第7回協議会で同年12月1日を合併期日とする合併計画が決定、翌月4月23日には函館市内で合併協定調印式が挙行された。11月10日、(旧)函館市への編入に関する総務省告示第879号が告示され、2004年(平成16年)12月1日、告示の処分の発効により戸井町を含む3町1村は(旧)函館市へ編入、ここに改めて函館市が誕生し、戸井町としての歴史に幕を下ろした。 2003年(平成15年) - 戸井町と(旧)函館市・恵山町・椴法華村・南茅部町の合併協議が本格化。2月17日 - 上掲5市町村の首長協議により「函館市・戸井町・恵山町・椴法華村・南茅部町市町村合併調査室」が設置。 4月21日 - 「函館市・戸井町・恵山町・椴法華村・南茅部町市町村合併研究部会」が設置。 7月31日 - 第1回「函館市・戸井町・恵山町・椴法華村・南茅部町任意合併協議会」が開催(計3回開催)。 9月16日〜9月26日 - 6市町村議会が順次合併協議会の設置議案を可決。 9月29日 - 「函館市・戸井町・恵山町・椴法華村・南茅部町合併協議会」(以下、「合併協議会」)が設置。 9月30日 - 第1回合併協議会が開催。以後年内に第4回まで開催される。 2004年(平成16年)4月23日 - 函館市内で合併協定調印式が挙行される。 11月4日 - 最後となる第9回合併協議会が開催。 12月1日 - 函館市に編入。
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