戦後からの再興
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/31 04:28 UTC 版)
「日立製作所本社サッカー部」の記事における「戦後からの再興」の解説
終戦後の1946年に活動を再開。1947年に高橋英辰(後に日本代表監督、2009年にサッカー殿堂入り)が茨城日立から本社に転属した。 後の日本サッカーリーグ(JSL)の源流の1つとなった全日本実業団サッカー選手権大会(1948年-1964年)では、開催された17大会のうち優勝2回、準優勝7回の成績を残した。1951年から1954年にかけては4年連続で決勝に進出したが、いずれも当時黄金期を築いていた田辺製薬に敗れ準優勝に終わっている。ようやく1958年に決勝で古河電工を破って初優勝を果たした。1960年には天皇杯に初出場して3位に進出した。1963年には全国都市対抗サッカー選手権大会で初優勝した。
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