戦後から21世紀
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 15:33 UTC 版)
チトーグラードの名の下、ポドゴリツァは1946年7月13日にモンテネグロ社会主義共和国の首都となった。 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国(SFRY)時代には空前の発展をし人口は劇的に増加した。重工業化が進み、インフラや教育、医療なども改善された。また、文化的な機関も設立されている。この期間、急速にモンテネグロの社会や経済の中心的な都市へと変わった。発展を謳歌していたが、1990年代に入るとのユーゴスラビア崩壊の始まりによって再び停滞を始めた。1992年4月2日にチトーグラードから再びポドゴリツァに名称が戻される。ユーゴスラビア崩壊に伴う戦争はモンテネグロでは避けられたが、経済的には広範な影響を受け、1990年代は経済的に停滞していた。21世紀に入ると経済の回復が始まり、ポドゴリツァは現代的で親西欧的な都市へと脱皮した。モンテネグロ独立の国民投票が成立する2006年5月には、公式に独立国の首都として都市としての地位や経済的な見通しが上がった。
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