UFC・DREAMとは? わかりやすく解説

UFC・DREAM

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 08:12 UTC 版)

ミルコ・クロコップ」の記事における「UFC・DREAM」の解説

2006年12月30日米国総合格闘技団体UFCへの参戦表明しPRIDEから離脱した2007年2月3日UFC初参となったUFC 67エディ・サンチェス対戦ミルコ打撃警戒するサンチェス追い込み、1RマウントパンチによるTKO勝利しアメリカ進出白星デビューとなった2007年4月21日勝てばタイトルマッチといわれたUFC 70ガブリエル・ゴンザーガとの対戦ではミドルを掴まれてテイクダウン許したグラウンド頭部何度も肘打ちを受け続け最後は右ハイキック被弾し失神KO負け喫した試合後には、スタンド戻った際にすでにグラウンドでの肘打ちにより大きなダメージ受けていたことや、UFCルールへの対策甘く肘打ち対す防御練習怠っていたことを語った2007年9月8日UFC 75シーク・コンゴ対戦序盤優勢に試合進めるも、中盤からはローブロー重なって急激に失速最終的にコンゴ巻き返される形となり、0-3判定負け喫した。この時期からたび重なる怪我手術影響により、PRIDE時のようなキレのある動きができなくなってしまう。 2008年一端UFC離れ日本の新団体DREAM参戦した3月15日旗揚げDREAM.1水野竜也対戦し開始55TKO勝ち。 次いで6月15日DREAM.4ハレック・グレイシーと「グラップリング・チャレンジマッチ」で対戦予定であったが、ミルコ遺恨のある練習パートナーギルバート・アイブル実戦練習した際に両者ヒートアップして事実上喧嘩発展し両者ともに大怪我をするという自体発生。アイブルはアキレス腱断裂し、ミルコは右肘靱帯を亜脱臼してしまった。ミルコはその状態のまま練習続けたため、さらに右肘の状態を悪化させてしまい、ハレックとの試合前にドクターストップ急遽欠場となる。その後DREAM.5にも出場予定となるが、怪我回復が間に合わず欠場となった。この怪我により、のちにUFC対戦するフランク・ミア対戦前ミルコ研究していた時に、「ミルコは右のパンチがある時期を境におかしくなっている。何か大きな怪我でもしたんじゃないか。」と語るように、ミルコその後パンチ能力落ちていくこととなる。 2008年9月23日DREAM.6アリスター・オーフレイム対戦するが1R6分9秒、アリスター膝蹴り何度も下腹部入りミルコ悶絶数分間の回復時間与えられ試合再開されるが、再度アリスター膝蹴りミルコ下腹部入り試合続行不可能となりドクターストップ審議結果アリスター下腹部への攻撃故意ではなかったという判断によりノーコンテストとなった2008年12月31日Dynamite!! 〜勇気のチカラ2008〜チェ・ホンマンDREAMルール対戦両者イエローカード提示されるほど両者とも手が出ない試合となったが、試合序盤からミルコ何度も放っていたローキック徐々にホンマンの足にダメージ与えており、1R開始6分過ぎた頃にミルコの左ローキックでホンマンが崩れ落ちてKO勝ちを収めた。この試合序盤ミルコは左ハイキック挨拶代わりに繰り出したが、ガードはされたもののミルコの左ハイはホンマンの顔面にも届くことを見せ付けた2009年6月13日ドイツ開催されUFC 99ムスタファ・アルターク1年9か月ぶりのUFC復帰戦を行い、スタンドパンチでTKO勝ち。 2009年9月19日UFC 103ジュニオール・ドス・サントス対戦する打撃圧され3R膝蹴りと目へのアッパー一時的に失明状態に陥り、ギブアップ負け試合後、引退示唆する発言をした。 サントス戦から半年1年後バリー戦前ミルコGONG格闘技特集MMA Weeklyなどの海外格闘技系サイトインタビューで、この頃自身コンディション振り返る機会があった。その際には、「俺の膝は2008年頃から完全に壊れていた。膝の手術だけで(PRIDE後期から2009年頃までに)3度受けたが、アルターク戦でも蹴りをまったく出さなかったようにあの時期は術後で膝がまだ治っていなかった。ドス・サントス戦でも膝の状態が完全に治っておらず、医者試合を行うことを止められたし、蹴りを打つことも禁止されていた。(このような状態で)サントス戦を受けたのは良い判断ではなかったかもしれないが…、でも俺はファイターだから良いコンディションじゃなくて競い合いたいし、戦いたかったんだ。」と明かしている。サントス戦では医者禁止されていた蹴り放ったが、その際激痛感じてその後何度も蹴るのはやめたという。それほどミルコの膝の怪我深刻になってきており、足だけではなく腕や脳へのダメージ含めて長年戦いにより体中ボロボロになっていたと述懐している。 2010年2月20日オーストラリア開催されUFC 110ベン・ロズウェル対戦予定だったが、ロズウェル現地到着後、ウイルス性胃腸炎かかってしまい急遽欠場代わりに急遽呼ばれた代打アンソニー・ペロシュ対戦2Rグラウンドでの肘打ちでペロシュの額をカットさせ、2R終了時ドクターストップによるTKO勝ちとなった2010年6月12日UFC 115パトリック・バリー対戦。1Rにバリーパンチ2度ダウン奪われるも、3Rパンチバリーをぐらつかせてダウンを奪うとそのまま背後からバリーチョーク仕掛けチョークスリーパー一本勝ち試合後のマイクでは「(UFC代表の)ダナ・ホワイトよ、私に『サブミッション・オブ・ザ・ナイト』をくれ。」とアピールし、サブミッション・オブ・ザ・ナイトを獲得した2010年9月25日UFC 119怪我をしたノゲイラ代わりにフランク・ミア対戦し3Rに右膝蹴りKO負け2011年3月19日UFC 128ブレンダン・シャウブ対戦し互角の展開となっていたが、3Rミルコローキックにシャウブのカウンターパンチ入りミルコダウン。3RKO負け喫した2011年10月29日UFC 137ロイ・ネルソン対戦したUFCとの契約満了迎え試合であり、2ラウンド序盤ラッシュ攻めるなど打撃で押す場面もあったが、3RにバックマウントパンチでTKO負け喫し試合後に引退示唆した

※この「UFC・DREAM」の解説は、「ミルコ・クロコップ」の解説の一部です。
「UFC・DREAM」を含む「ミルコ・クロコップ」の記事については、「ミルコ・クロコップ」の概要を参照ください。

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