UFC・DREAM
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「ミルコ・クロコップ」の記事における「UFC・DREAM」の解説
2006年12月30日、米国の総合格闘技団体UFCへの参戦を表明し、PRIDEから離脱した。 2007年2月3日、UFC初参戦となったUFC 67でエディ・サンチェスと対戦。ミルコの打撃を警戒するサンチェスを追い込み、1RマウントパンチによるTKOで勝利し、アメリカ進出は白星デビューとなった。 2007年4月21日、勝てばタイトルマッチといわれたUFC 70のガブリエル・ゴンザーガとの対戦ではミドルを掴まれてテイクダウンを許した後グラウンドで頭部へ何度も肘打ちを受け続け、最後は右ハイキックを被弾し失神KO負けを喫した。試合後には、スタンドに戻った際にすでにグラウンドでの肘打ちにより大きなダメージを受けていたことや、UFCのルールへの対策が甘く、肘打ちに対する防御の練習を怠っていたことを語った。 2007年9月8日のUFC 75でシーク・コンゴと対戦。序盤は優勢に試合を進めるも、中盤からはローブローも重なって急激に失速。最終的にコンゴに巻き返される形となり、0-3の判定負けを喫した。この時期からたび重なる怪我と手術の影響により、PRIDEの時のようなキレのある動きができなくなってしまう。 2008年は一端UFCを離れ、日本の新団体DREAMに参戦した。3月15日の旗揚げ戦DREAM.1で水野竜也と対戦し、開始55秒TKO勝ち。 次いで6月15日、DREAM.4でハレック・グレイシーと「グラップリング・チャレンジマッチ」で対戦予定であったが、ミルコが遺恨のある練習パートナーのギルバート・アイブルと実戦練習した際に両者がヒートアップして事実上の喧嘩に発展し、両者ともに大怪我をするという自体が発生。アイブルはアキレス腱を断裂し、ミルコは右肘靱帯を亜脱臼してしまった。ミルコはその状態のまま練習を続けたため、さらに右肘の状態を悪化させてしまい、ハレックとの試合前にドクターストップ。急遽欠場となる。その後、DREAM.5にも出場予定となるが、怪我の回復が間に合わず欠場となった。この怪我により、のちにUFCで対戦するフランク・ミアが対戦前にミルコを研究していた時に、「ミルコは右のパンチがある時期を境におかしくなっている。何か大きな怪我でもしたんじゃないか。」と語るように、ミルコはその後パンチの能力が落ちていくこととなる。 2008年9月23日、DREAM.6でアリスター・オーフレイムと対戦するが1R6分9秒、アリスターの膝蹴りが何度も下腹部に入り、ミルコが悶絶。数分間の回復時間が与えられ試合は再開されるが、再度アリスターの膝蹴りがミルコの下腹部に入り試合続行不可能となりドクターストップ。審議の結果、アリスターの下腹部への攻撃は故意ではなかったという判断によりノーコンテストとなった。 2008年12月31日、Dynamite!! 〜勇気のチカラ2008〜でチェ・ホンマンとDREAMルールで対戦。両者にイエローカードが提示されるほど両者とも手が出ない試合となったが、試合序盤からミルコが何度も放っていたローキックが徐々にホンマンの足にダメージを与えており、1R開始6分を過ぎた頃にミルコの左ローキックでホンマンが崩れ落ちてKO勝ちを収めた。この試合の序盤にミルコは左ハイキックを挨拶代わりに繰り出したが、ガードはされたもののミルコの左ハイはホンマンの顔面にも届くことを見せ付けた。 2009年6月13日、ドイツで開催されたUFC 99でムスタファ・アルタークと1年9か月ぶりのUFC復帰戦を行い、スタンドパンチでTKO勝ち。 2009年9月19日、UFC 103でジュニオール・ドス・サントスと対戦するも打撃で圧され、3Rに膝蹴りと目へのアッパーで一時的に失明状態に陥り、ギブアップ負け。試合後、引退を示唆する発言をした。 サントス戦から半年~1年後、バリー戦前にミルコはGONG格闘技の特集やMMA Weeklyなどの海外格闘技系のサイトのインタビューで、この頃の自身のコンディションを振り返る機会があった。その際には、「俺の膝は2008年頃から完全に壊れていた。膝の手術だけで(PRIDE後期から2009年頃までに)3度受けたが、アルターク戦でも蹴りをまったく出さなかったように、あの時期は術後で膝がまだ治っていなかった。ドス・サントス戦でも膝の状態が完全に治っておらず、医者に試合を行うことを止められたし、蹴りを打つことも禁止されていた。(このような状態で)サントス戦を受けたのは良い判断ではなかったかもしれないが…、でも俺はファイターだから良いコンディションじゃなくても競い合いたいし、戦いたかったんだ。」と明かしている。サントス戦では医者に禁止されていた蹴りを放ったが、その際に激痛を感じてその後は何度も蹴るのはやめたという。それほどミルコの膝の怪我は深刻になってきており、足だけではなく腕や脳へのダメージも含めて、長年の戦いにより体中がボロボロになっていたと述懐している。 2010年2月20日、オーストラリアで開催されたUFC 110でベン・ロズウェルと対戦予定だったが、ロズウェルが現地に到着後、ウイルス性胃腸炎にかかってしまい急遽欠場。代わりに急遽呼ばれた代打のアンソニー・ペロシュと対戦。2Rにグラウンドでの肘打ちでペロシュの額をカットさせ、2R終了時にドクターストップによるTKO勝ちとなった。 2010年6月12日、UFC 115でパトリック・バリーと対戦。1Rにバリーのパンチで2度ダウンを奪われるも、3Rにパンチでバリーをぐらつかせてダウンを奪うとそのまま背後からバリーにチョークを仕掛け、チョークスリーパーで一本勝ち。試合後のマイクでは「(UFC代表の)ダナ・ホワイトよ、私に『サブミッション・オブ・ザ・ナイト』をくれ。」とアピールし、サブミッション・オブ・ザ・ナイトを獲得した。 2010年9月25日、UFC 119で怪我をしたノゲイラの代わりにフランク・ミアと対戦し、3Rに右膝蹴りでKO負け。 2011年3月19日、UFC 128でブレンダン・シャウブと対戦し、互角の展開となっていたが、3Rにミルコのローキックにシャウブのカウンターのパンチが入り、ミルコがダウン。3RKO負けを喫した。 2011年10月29日、UFC 137でロイ・ネルソンと対戦した。UFCとの契約満了を迎える試合であり、2ラウンド序盤にラッシュで攻めるなど打撃で押す場面もあったが、3RにバックマウントパンチでTKO負けを喫し、試合後に引退を示唆した。
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