The Heart Break Kidとは? わかりやすく解説

The Heart Break Kid

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/15 05:37 UTC 版)

ショーン・マイケルズ」の記事における「The Heart Break Kid」の解説

1991年11月27日サバイバー・シリーズにおける同士射ちで相棒マーティ・ジャネッティ仲間割れ。翌1992年初頭ブルータス・ビーフケーキインタビュー・コーナー "バーバーショップ" で一旦は和解したかに見えたが、不意をついて放ったスウィート・チン・ミュージックでジャネッティをKO以降、鏡を携えたセンセーショナル・シェリー(入場曲 "Sexy Boy" の初期ボーカル担当)をマネージャーに、生意気な自惚れ男のギミック "ボーイ・トーイ" またの名を "ハート・ブレイク・キッド" としてヒールシングルプレイヤー転向した(ハート・ブレイク・キッドのネーミングは、"ミスター・パーフェクト" カート・ヘニング考案による)。 ヒールターン後はティト・サンタナとの連戦経てブレット・ハートとの抗争開始し1992年7月ブレット保持するIC王座挑戦。この試合WWE史上初のラダー・マッチ行われたが、タイトル奪取には至らなかった。その後同年10月27日ブリティッシュ・ブルドッグ破り王座獲得、初のシングルタイトル戴冠果たしたサバイバー・シリーズではブレットWWF世界ヘビー級王座挑戦するシャープシューター敗退1993年3月RAWではマーティ・ジャネッティIC王座奪われるも、短期間王座奪還する同時期、マネージャーシェリー決別し(ジャネッティの急襲シェリーを盾にして防いだことによる)、ボディーガードとして新しくディーゼル雇っている。 そうした中、WWF一時離脱王座防衛行わないことが理由とされたが、ステロイド原因という噂もあった(本人否定)。WCWとの接触噂されるも、ほどなくして復帰当時WWF提携していたメンフィスUSWAにも参戦している。11月サバイバー・シリーズではハート・ファミリーブレットオーエンブルース&キース・ハート)(w / スチュ・ハート)を相手主将務めたショーン離脱中の1993年9月27日空位IC王座を争うバトルロイヤル勝ち残ったレイザー・ラモンリック・マーテルの間で王座決定戦が行われ、ラモンマーテル下して王者になった。しかし、復帰したショーンはこれを認めず互いに王者主張し合った真の王者決めるべく行われたのが、1994年レッスルマニアXでのレイザー・ラモンとのラダー・マッチである。試合には敗れたものの、双方ともに実力出し切ったこの試合ショーン大ブレイクつながった同年8月28日ボディーガード役のディーゼルとのコンビでザ・ヘッドシュリンカーズ(ファトゥ&サムゥ)を破りロッカーズ時代には果たせなかったWWF世界タッグ王座獲得実現。しかし翌日サマースラムでのIC王座掛けたディーゼルvsレイザー・ラモンにおいて、誤ってディーゼルスウィート・チン・ミュージック見舞ってしまう。これが原因2人の間に亀裂生じ11月サバイバー・シリーズでのディーゼルの裏切りを誘発することとなった1995年ロイヤルランブル一番手として登場初優勝経てレッスルマニアXIにてディーゼルの持つWWF世界ヘビー級王座挑戦した敗退この際新しボディーガードとしてサイコ・シッドを雇うが敗北翌日襲撃され、しばらくの休養に入る。 その年の5月ベビーフェイスとして復帰7月イン・ユア・ハウスにてジェフ・ジャレット破り3度目IC王座獲得成功8月サマースラムではレイザー・ラモンとの再度ラダー・マッチにも勝利した。この時期にはクリックリーダーとして舞台裏での影響力強め10月イン・ユア・ハウスではディーン・ダグラス王座明け渡すことを拒否し負傷による王座返上アングル変更させ、同日仲間レイザー・ラモン王座獲得させている。その後オーエン・ハートらと抗争したがサバイバー・シリーズ翌日オーエンにエンズイギリを食らい脳震盪起こすストーリー設け短期間ながら欠場するちなみに布石としてナイトクラブにおいて襲撃されるストーリーもあった。 1996年ロイヤルランブル史上初となるロイヤルランブル連覇達成レッスルマニアXIIでは、WWF世界ヘビー級王者ブレット・ハートWWF史上初のアイアンマン・マッチ対戦入場時会場のアローヘッド・ポンドの屋外頂部から滑車使ってロープ滑り降りるという破天荒なパフォーマンスやってのけた(この入場シーン映像ショーンハイライト振り返る上で必ずと言っていいほど流される)。試合は後にショーンが「自分現役生活でも最高の試合」と評するほどの激闘となり、延長戦の末勝利。初のWWF世界ヘビー級王座奪取果たした。しかし、この時の経緯巡りブレット・ハート激怒し、彼との間に大きな確執を残すこととなったまた、同年5月19日にはMSGリング上でカーテンコール行い後々影響及ぼしている。 名実ともにWWF頂点立ったショーンは、ブレット長期休養取ったこともあり、マンカインドベイダーブリティッシュ・ブルドッグらを相手防衛重ねるが、サバイバー・シリーズサイコ・シッドWWF王座奪われた。翌1997年1月19日地元サンアントニオアラモドームに6万人超の観客集めたロイヤルランブル王座奪回するが、この試合で膝を痛め王座返上し、レッスルマニア13には不出場。しかし、これは直前ブレット契約更改ビンス・マクマホンから高額な契約金引き出したことに対して試合ボイコットであった、という説もある。 復帰後の5月25日には、ストーン・コールド・スティーブ・オースチン組んでオーエン・ハート&ブリティッシュ・ブルドッグからWWF世界タッグ王座獲得この年サマースラムでは、ブレット・ハートジ・アンダーテイカーWWF世界ヘビー級王座戦のゲストレフェリー務めた。この試合決着ショーンテイカーへのイス攻撃誤爆によってブレット勝利を奪った。これがきっかけとなりアンダーテイカーとの抗争勃発10月バッド・ブラッドにて初のヘル・イン・ア・セルが行われた。試合金網外側にも及び、天井での攻防の末に5メートルしたに落下するなど激闘となり、結末ケイン乱入によってテイカー敗北喫した。この抗争最中9月20日のイギリス・バーミンガム大会において、ブリティッシュ・ブルドッグからWWFヨーロピアン王座獲得、これによって初のグランドスラム達成している。

※この「The Heart Break Kid」の解説は、「ショーン・マイケルズ」の解説の一部です。
「The Heart Break Kid」を含む「ショーン・マイケルズ」の記事については、「ショーン・マイケルズ」の概要を参照ください。

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