The Hobo King Bandの結成
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 22:37 UTC 版)
「佐野元春」の記事における「The Hobo King Bandの結成」の解説
新作のレコーディング作業を続けていたこの時期、レコーディングセッションを通じ集まったメンバーによる佐野の新バンド「INTERNATIONAL HOBO KING BAND」(その後何度か改名の後、最終的に「The Hobo King Band」という名称になった)を結成。1996年1月に「INTERNATIONAL HOBO KING TOUR」が行われ、7月にはTHE HEARTLAND解散後初のアルバムとなる『FRUITS』をリリース。それまでのオリジナル・アルバムの中で最も多い収録曲数となる全17曲は、もともと指向が広い佐野の音楽性に彩られながら、いずれも2分から3分のポップソングとなっている。THE HEARTLAND解散後の新しいスタイルが早くも提示された。また、このアルバムはミュージック・マガジン誌で年間ベストアルバムNo.1に選出されるなど、現在も評価の高い作品である。 1996年9月から年末にかけ、The Hobo King Bandとともに全国ツアー「Fruits Tour」を行う。さらに12月には日本武道館、大阪城ホール、横浜アリーナというアリーナクラスの会場で「Fruits Punch」を敢行。中でも特筆すべき点として、日本武道館では国内初のインターネット・ライブ中継を実施した。 「FRUITS」プロジェクトを終えた佐野とThe Hobo King Bandは、さらに音楽的結束を固めるため1997年夏に渡米。ザ・バンドやジャニス・ジョプリンの出世作を手かげたプロデューサーであるジョン・サイモンを迎え、ウッドストックにてアルバム『THE BARN』を製作。1997年12月にリリースした。 アルバム・タイトル「Barn」が示すとおり、アルバム制作はウッドストックのベアズビルにある納屋を改造したスタジオに住み込み状態でレコーディングが進められるという、ウッドストックのマナーに沿ったものであった。近くに住むガース・ハドソン(ザ・バンド)、ジョン・セバスチャン(The Lovin' Spoonful)、エリック・ワイズバーグらがスタジオに訪れてはセッションに参加した。アルバムは、その完成度もさることながら、アメリカン・ロックに対するリスペクトの念に溢れたものであり、また1990年代後半に台頭してきたオルタナティブ・カントリーという新しい流れに呼応した姿勢は、音楽評論家筋から高く評価されることになった。アルバム収録曲である「Doctor」と「どこにでもいる娘」は、製作期間中に不慮の事故で自身の妹が亡くなった事に関連している。 翌年初頭である1998年1月から4月にかけて「The Barn Tour」を行う。中でも3月29日に行われた大阪フェスティバルホールでのライブでは、この日のためにジョン・サイモンとガース・ハドソンが来日し、サイモンはタンバリンで、ハドソンはアコーディオンで演奏に参加した。また、ステージ袖で佐野のパフォーマンスを見ていたサイモンは、ステージ上にあるプロンプターに「Elvis loves you」というメッセージを演奏中の佐野に贈ったという。
※この「The Hobo King Bandの結成」の解説は、「佐野元春」の解説の一部です。
「The Hobo King Bandの結成」を含む「佐野元春」の記事については、「佐野元春」の概要を参照ください。
- The Hobo King Bandの結成のページへのリンク