CLR: ル・マンの事故と撤退(1999年)
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「モータースポーツにおけるメルセデス・ベンツ」の記事における「CLR: ル・マンの事故と撤退(1999年)」の解説
2年連続でAMGメルセデスチームが圧勝してしまったため、GT1クラスに参戦していた他メーカーは全て撤退してしまい、FIAは1999年のFIA GT選手権についてGT1クラスを設定しないことを決定した。 この時点でダイムラークライスラーは、オペル、アウディとともに、2000年にDTMを復活させるための取り組みを進めていたため、この年の選手権を戦えなくなること自体はさほど問題とはしなかった。そのため、この年は前年に不本意な結果に終わったル・マン24時間レースに焦点を絞り、ル・マンに特化したGTプロトタイプ(LMGTP)車両のCLRを用意した。 この年のル・マンで、CLRは計3回に渡って走行中に宙を舞うという事故を起こした。3台でエントリーしていたが、木曜の予選と土曜の練習走行時で、どちらも4号車が事故を起こし、土曜の事故で車両は大破して走行不能となった。レースには残った2台で挑む決断が下され、結果として、5号車も同様の事故を起こしたことで、その時点でトップ争いをしていた6号車もピットに呼び戻し、AMGメルセデスチームはレースを棄権した。 1955年の事故とは異なり、この時の3回の事故で大きな怪我をした者は(奇跡的に)いなかったものの、より大きな事故に発展していた可能性は高く、練習走行までに2回の事故があったにも関わらず決勝レース出場を強行した無謀さは非難を受けることとなる。 最初の2回の事故は映像として残っていなかったが、レース本番で起きた3回目の事故はテレビ中継中に発生したため、多くの目撃者を生んだ。この事故は「メルセデス・ベンツ」ブランドのプロモーションにとっては大きな打撃となり、ダイムラークライスラーはスポーツカーレースからの撤退を決め、モータースポーツ全体についても、今後の活動の再評価を行うことになる。 2021年時点で、これがメルセデス・ベンツがル・マンに参戦した最後のレースとなっている。 CLRの開発 詳細は「メルセデス・ベンツ・CLR」を参照 基本的には前々年のCLK-GTR、前年のCLK-LMを踏襲した車両だが、ロードカーにすることを考慮しなくてよくなったため、ボディ形状は空力を最優先したものになり、ル・マンのみで走らせる車両であるため、オーバーハングは1,200mmという非常に長いものとなった。 しかし、空力を優先した結果、ピッチングを抑えるためのサイドダンパーを装着するスペースがなくなってしまい、前年までは装着していたそれを取り外したと言われている。また、空力の検証は本来の風洞施設を使えなかったため、シュトゥットガルト大学の風洞を借りて行われた。この風洞はローリングロードを持たない古いタイプのもので、車高を下げた時の走行データを取れていなかった。 最初の車両は1999年2月に完成し、カリフォルニア・スピードウェイ、ホームステッド=マイアミ・スピードウェイといったオーバルトラックや、ホッケンハイムリンク、(比較的)テクニカルなマニクールといったヨーロッパの高速サーキットで、走行距離としては合計で35,000km近くになる入念なテスト走行が行われた。ル・マンでは、予選前日の水曜に行われた練習走行の時点でピッチングの症状が出ていたことをチームは認識していたが、テスト走行時には安定していたことで、こうした不安定な挙動の兆候は軽視された。 CLRの事故がその後の技術規則に及ぼした影響 ル・マンの事故については、空力の不具合(設計ミス)によるものというのが一般的な見解である。事故直後から、FIA、ダイムラークライスラーそれぞれで空力の検証調査が行われた。その結論を受け、1999年10月の世界モータースポーツ評議会で、FIAは、ACOをはじめとするスポーツカーレースの主催団体に対して、各団体が定める技術規則について、前後オーバーハング長の制限、フラットボトムの形状見直し、車体前後の空力付加物の形状や寸法の見直しなどの方法により、ピッチングへの過敏な反応を抑える対策を取るよう求めた。この事故はレース関係の組織以外からも研究テーマとして注目され、SAE Internationalでは、CLRのような形状の車両で、ピッチングによりフロントノーズ部が1°持ち上がると離陸する恐れがあり、2.5°持ち上がると確実に離陸するという実験結果が提出されるなど、この事故に関連した複数の論文が発表されことになった。 こうした研究成果が反映され、後のル・マンプロトタイプ(LMP)車両では、前後オーバーハングの長さ規制が導入され、2011年にはシャークフィンの装着、2012年からはフロントフェンダー上部に開口部を設けることが義務化されるなど、「離陸」を防ぐための数々の安全対策が施されるようになった。
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