8インチディスク
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「フロッピーディスクの歴史」の記事における「8インチディスク」の解説
メインフレームのSystem/370でイニシャルコントロールプログラムローダー(ICPL)と呼ばれるマイクロコードをメモリにロードするための安価で信頼性の高い方法を開発するようIBMは1967年にサンノゼにある研究所へ指示した。System/370は、一部のモデルを除き、マイクロコードをRAMに読み込む方式をIBMとして初めて本格的に採用したコンピューターシステムで、電源を入れなおしたときは必ずマイクロコードをロードしなおさなければならなかった。System/370の前身であるSystem/360は元々ROMにマイクロコードを保存する設計だった。IBMはまた顧客にソフトウェアのアップデートを安価に配布できるメディアを求めていた。 IBMの記憶装置開発責任者であるアラン・シュガートは、新型のテープ型記憶装置の開発で失敗していたデビッド・ノーブルにこの仕事を任せた。後に23FDフロッピーディスクドライブとなる、コードネームMinnowの開発プロジェクトが立ち上がり、ドナルド・ワートナーがディスクドライブ開発のマネージャーに、ハーバート・トンプソンがディスクメディア開発のマネジャーに任命され、エンジニアのウォーレン・ダルジール、ジェイ・ブレント・ニルソン、ラルフ・フローレスらが開発チームに参加した。開発中はこのディスクをメモリーディスクと呼び、直径8インチの柔らかいディスクで製作し、リードオンリーで80キロバイトの記憶容量があった。最初のディスクは裸だったが、汚れが深刻な問題を招くため、埃を除去できるよう不織布による内張を貼った樹脂製のエンベロープに入れた。フロッピーディスクの特許#3,668,658は1972年6月6日にラルフ・フローレスとハーバート・トンプソンによる発明として出願された。フロッピーディスクドライブの特許#3,678,481は1972年7月18日にウォーレン・ダルジール、ジェイ・ニルソン、ドナルド・ワートナーの発明として出願された。IBMは1971年にディスケットを発売した。 この新しいデバイスは1971年に2835ストレージ制御装置のプログラムロード部という形で23FDとして販売され、その後ほとんどのSystem 370処理装置やその他のIBMの製品で標準装備品として販売された。当初IBMは市場に配布するブートディスクを書き込むためにコードネーム「マカレル」という別のデバイスを使っていた。 アラン・シュガートはIBMを退職してMemorex(英語版)に転職し、1972年にチームを率い、世界で初めて読み書き両対応となるフロッピーディスクドライブであるMemorex 650を発売した。650は1セクタ448バイト、8セクタ50トラックで175KBの容量があった。Memorexのディスクはセクタが固定されており、最外周(トラック00の外側)に8つのセクタホールと1つのインデックスホールを開け、各データセクタの開始位置とトラックの開始位置を同期できるようになっていた。Memorexの最初期のディスクはハードセクターで、セクタ数が8、16、32のいずれかの固定となっており、ディスクハブの周りに物理的に穴を開けてマーキングしたため、ドライブとメディアの形式が異なると互換性がなかった。 シュガートが1973年に設立したシュガート・アソシエイツは8インチフロッピーディスクドライブ市場を独占する企業となった。SA800の形状とインターフェイスは業界の事実上の標準規格となった。 IBMは同社のパンチカード(キーパンチ)データ入力装置を置き換えることを目的に、読み書き両対応のフロッピーディスクとして同社初となる33FDを3740データ入力システム(コードネームIGAR)の一部として1973年5月に発売した。メディアはディスケット1として別途販売され、テフロン加工された不織布の内張を採用して長寿命を実現した。メディアメーカーのインフォメーションターミナルズ社(現三菱ケミカルメディア)は1976年に磁性面本体にもテフロン加工を施すことによりさらに信頼性を高めた。 新システムではソフトセクタ方式のフォーマットが採用され、1枚のディスクに最大250.25KBを保存できた。ディスクは26セクタ77トラック(計2002セクタ)に区分けされ、1セクタ当たり128バイトの容量があった。このフォーマットは多数のディスクメーカーに採用され、小容量のデータ移動用メディアとして間もなく一般的になった。このフォーマットは後に片面単密度(SSSD)と呼ばれた。このサイズは2000枚のパンチカードに相当するデータを記録できるものとして定められた。 1970年代にマイクロコンピュータが登場すると8インチフロッピーは数少ない「高速・大容量」デバイスの1つとして見なされるようになったが、個人や自営業者が気軽に買えるものではなかった。マイクロコンピュータ用オペレーティングシステムのCP/Mは最初は8インチディスクで販売された。しかしマイクロコンピュータの黎明期はディスクドライブのほうがまだ本体よりも高価であり、当時はカセットテープを代わりに使うことが多かった。 IBMは1976年に500KBの両面単密度(DSSD)フォーマットのディスクを発売し、1977年に1.2MBの両面倍密度(DSDD)フォーマットのディスクを発売した。 バローズの1MBフォーマット等のその他の8インチフロッピーのフォーマットはどの市場にも受け入れられなかった。 1978年の終わりの時点で一般的なフロッピーディスク1枚の値段は$5(2020年時点の$19と同等)から$8 (2020年時点の$31と同等)だった。1978年におけるメディア全種の市場規模は$1億3500万、ディスクドライブは$8億7500万だった。 シュガート・アソシエイツが開発した8インチフロッピーディスクドライブのインターフェイス規格は50ピンで、交流電源が直接スピンドルモーターを常時回転させていた。後期のモデルは直流モーターで、モーターの回転と停止を制御するための信号が追加された。
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