8インチディスクとは? わかりやすく解説

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8インチディスク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 18:55 UTC 版)

フロッピーディスクの歴史」の記事における「8インチディスク」の解説

メインフレームSystem/370でイニシャルコントロールプログラムローダー(ICPL)と呼ばれるマイクロコードメモリロードするための安価信頼性の高い方法開発するようIBM1967年サンノゼにある研究所指示したSystem/370は、一部モデル除きマイクロコードRAM読み込む方式IBMとして初め本格的に採用したコンピューターシステムで、電源入れなおしたときは必ずマイクロコードロードしおさなければならなかった。System/370前身であるSystem/360は元々ROMマイクロコード保存する設計だった。IBMはまた顧客ソフトウェアアップデート安価に配布できるメディア求めていた。 IBM記憶装置開発責任者であるアラン・シュガートは、新型テープ記憶装置開発失敗していたデビッド・ノーブルにこの仕事任せた。後に23FDフロッピーディスクドライブとなる、コードネームMinnowの開発プロジェクト立ち上がり、ドナルド・ワートナーがディスクドライブ開発マネージャーに、ハーバート・トンプソンがディスクメディア開発マネジャー任命されエンジニアのウォーレン・ダルジール、ジェイ・ブレント・ニルソン、ラルフ・フローレスらが開発チーム参加した開発中はこのディスクメモリーディスク呼び直径8インチ柔らかいディスク製作しリードオンリー80キロバイト記憶容量があった。最初ディスクは裸だったが、汚れ深刻な問題を招くため、埃を除去できるよう不織布による内張貼っ樹脂製のエンベロープ入れたフロッピーディスク特許#3,668,658は1972年6月6日にラルフ・フローレスとハーバート・トンプソンによる発明として出願された。フロッピーディスクドライブ特許#3,678,4811972年7月18日にウォーレン・ダルジール、ジェイ・ニルソン、ドナルド・ワートナーの発明として出願された。IBM1971年ディスケット発売した。 この新しデバイス1971年に2835ストレージ制御装置のプログラムロード部という形で23FDとして販売されその後ほとんどのSystem 370処理装置その他のIBM製品標準装備品として販売された。当初IBM市場配布するブートディスク書き込むためにコードネーム「マカレル」という別のデバイス使っていた。 アラン・シュガートIBM退職してMemorex(英語版)に転職し1972年チーム率い世界で初め読み書き両対応となるフロッピーディスクドライブであるMemorex 650発売した650は1セクタ448バイト、8セクタ50トラックで175KBの容量があった。Memorexのディスクセクタ固定されており、最外周(トラック00外側)に8つのセクタホールと1つインデックスホール開け、各データセクタの開始位置トラック開始位置同期できるようになっていた。Memorexの最初期ディスクはハードセクターで、セクタ数が8、1632いずれか固定となっており、ディスクハブの周り物理的に穴を開けてマーキングしたためドライブメディア形式異なると互換性がなかった。 シュガートが1973年設立したシュガート・アソシエイツは8インチフロッピーディスクドライブ市場独占する企業となった。SA800の形状インターフェイス業界事実上の標準規格となったIBM同社パンチカード(キーパンチ)データ入力装置置き換えることを目的に、読み書き両対応のフロッピーディスクとして同社初となる33FDを3740データ入力システム(コードネームIGAR)の一部として1973年5月発売したメディアディスケット1として別途販売されテフロン加工された不織布内張採用して長寿命実現した。メディアメーカーのインフォメーションターミナルズ社(現三菱ケミカルメディア)は1976年磁性本体にもテフロン加工を施すことによりさらに信頼性高めた。 新システムではソフトセクタ方式フォーマット採用され1枚ディスク最大250.25KBを保存できた。ディスク26セクタ77トラック(計2002セクタ)に区分けされ、1セクタ当たり128バイト容量があった。このフォーマット多数のディスクメーカーに採用され、小容量データ移動メディアとして間もなく一般的になった。このフォーマットは後に片面密度(SSSD)と呼ばれた。このサイズ2000パンチカード相当するデータ記録できるものとして定められた。 1970年代マイクロコンピュータ登場する8インチフロッピー数少ない高速・大容量デバイス1つとして見なされるようになったが、個人自営業者気軽に買えるものではなかった。マイクロコンピュータオペレーティングシステムCP/M最初は8インチディスクで販売された。しかしマイクロコンピュータ黎明期ディスクドライブのほうがまだ本体よりも高価であり、当時カセットテープ代わりに使うことが多かったIBM1976年に500KBの両面密度(DSSD)フォーマットディスク発売し1977年に1.2MBの両面密度(DSDD)フォーマットディスク発売したバローズの1MBフォーマット等のその他の8インチフロッピーフォーマットはどの市場にも受け入れられなかった。 1978年終わりの時点で一般的なフロッピーディスク1枚値段は$5(2020年時点の$19同等)から$8 (2020年時点の$31同等)だった。1978年におけるメディア全種の市場規模は$1億3500ディスクドライブは$8億7500だった。 シュガート・アソシエイツ開発した8インチフロッピーディスクドライブのインターフェイス規格50ピンで、交流電源直接スピンドルモーターを常時回転させていた。後期モデル直流モーターで、モーター回転停止制御するための信号追加された。

※この「8インチディスク」の解説は、「フロッピーディスクの歴史」の解説の一部です。
「8インチディスク」を含む「フロッピーディスクの歴史」の記事については、「フロッピーディスクの歴史」の概要を参照ください。

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