ETAシステムズ、ハードディスク、そして忘却のかなたへとは? わかりやすく解説

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ETAシステムズ、ハードディスク、そして忘却のかなたへ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/26 14:27 UTC 版)

コントロール・データ・コーポレーション」の記事における「ETAシステムズ、ハードディスク、そして忘却のかなたへ」の解説

CDCは再び性能挑戦しようとしていた。しかしノリスCDCすばやくよい設計作り出すには組織として硬直化しすぎていると考えていた。そこで彼は新たなスピンオフ会社ETAシステムズ1983年設立したETA設計目標は10GFLOPS、Cray-140倍の性能である。ETA目標達成することはできなかったが、一時的に世界高性能栄冠を手にし、翌年には若干売り上げもあった。CDCETAを売ることで損失補填することも検討したが、1989年ほとんどの従業員解雇し残った従業員CDC再雇用した。 一方日本NEC富士通といった大企業がその市場参入し始めていた。スーパーコンピュータ市場それほど大きくはない。CDCは他の市場を捜し求めた見つけたのは高性能ハードディスク市場である。1980年代中ごろパーソナルコンピュータハードディスク搭載されはじめており、有望な市場であった1970年代から1980年代初めにかけて、CDC14インチディスクドライブの市場ではOEMなどでトップ座を占めていた。シュガートアソシエイツが切り拓いた8インチディスクドライブ市場にもいち早く進出。特に高性能ハードディスク大きな地位占めようになった。しかし、新企業参入により大容量化・高性能化急速に進みCDCはそれに遅れをとるようになっていく。コンパックウェスタン・デジタルと共にATA規格開発したのもCDCである。 奇妙なことに1988年CDCハードディスク部門スピンオフさせ、Imprimis という会社にした。翌年ハイエンド市場への足がかり求めていたシーゲイト・テクノロジーがImprimisを買収CDCコンピュータ部門はコントロール・データ・システムズと改称BTグループ傘下入りBTグローバルサービス部門吸収された。 CDC中でもエネルギー管理部門は最も成功しており、世界発電所25%管理ソリューション提供していた。1988年1989年、これを Empros として独立させ、後にシーメンス売却したCDCサービス事業1992年スピンオフされ、Ceridian(英語版となった同社人事関係などのITアウトソース企業として成功している。Ceridian は1997年CDC時代政府関係システム開発していた部門ジェネラル・ダイナミクス売却した

※この「ETAシステムズ、ハードディスク、そして忘却のかなたへ」の解説は、「コントロール・データ・コーポレーション」の解説の一部です。
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