ETAシステムズ、ハードディスク、そして忘却のかなたへ
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「コントロール・データ・コーポレーション」の記事における「ETAシステムズ、ハードディスク、そして忘却のかなたへ」の解説
CDCは再び性能に挑戦しようとしていた。しかしノリスはCDCがすばやくよい設計を作り出すには組織として硬直化しすぎていると考えていた。そこで彼は新たなスピンオフ会社ETAシステムズを1983年に設立した。ETAの設計目標は10GFLOPS、Cray-1の40倍の性能である。ETAは目標を達成することはできなかったが、一時的に世界最高性能の栄冠を手にし、翌年には若干の売り上げもあった。CDCはETAを売ることで損失を補填することも検討したが、1989年ほとんどの従業員を解雇し、残った従業員はCDCで再雇用した。 一方、日本のNECや富士通といった大企業がその市場に参入し始めていた。スーパーコンピュータ市場はそれほど大きくはない。CDCは他の市場を捜し求めた。見つけたのは高性能ハードディスク市場である。1980年代中ごろ、パーソナルコンピュータにハードディスクが搭載されはじめており、有望な市場であった。1970年代から1980年代初めにかけて、CDCは14インチディスクドライブの市場ではOEMなどでトップの座を占めていた。シュガートアソシエイツが切り拓いた8インチディスクドライブ市場にもいち早く進出。特に高性能ハードディスクで大きな地位を占めるようになった。しかし、新企業の参入により大容量化・高性能化が急速に進み、CDCはそれに遅れをとるようになっていく。コンパックやウェスタン・デジタルと共にATA規格を開発したのもCDCである。 奇妙なことに1988年にCDCはハードディスク部門をスピンオフさせ、Imprimis という会社にした。翌年、ハイエンド市場への足がかりを求めていたシーゲイト・テクノロジーがImprimisを買収。CDCのコンピュータ部門はコントロール・データ・システムズと改称、BTグループの傘下に入り、BTのグローバルサービス部門に吸収された。 CDCの中でもエネルギー管理部門は最も成功しており、世界の発電所の25%で管理ソリューションを提供していた。1988年か1989年、これを Empros として独立させ、後にシーメンスに売却した。 CDCのサービス事業は1992年にスピンオフされ、Ceridian(英語版) となった。同社は人事関係などのITアウトソース企業として成功している。Ceridian は1997年、CDC時代に政府関係のシステムを開発していた部門をジェネラル・ダイナミクスに売却した。
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