2003年 - 2012年
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「全日本プロレス」の記事における「2003年 - 2012年」の解説
武藤が社長就任直後から交流していたプロレスリングZERO-ONEとの全面戦争が勃発、橋本が奪った三冠ベルトの奪還をねらう全日勢などの熱い戦いが繰り広げられた。その後、三冠王者になった川田はシングルマッチを経験した橋本、小川直也とタッグを結成してハッスルに参戦。 2004年には、ハッスルのリングで三冠ヘビー級選手権試合が行われた。グレート・ムタ、小島、カズもスポット参戦。「KAIENTAI DOJO」のTAKAみちのくも定期的に参戦。外国人軍団「RO&D」を引っ張っていた時期から、試合前に前説を行い、以後、他の選手が前説を行う形が定着している。 武藤がTNAとの業務提携のため単身渡米し、お互いの選手派遣、若手選手の交換留学などを実現させている。また武藤が世界中のプロレス団体に参戦するなどして、気に入った選手に直接オファーを出したり、選手から参戦を直訴されることも多くなっている。 全日本を離脱した三沢が社長として旗揚げしたノアとは、お互いの方針から交流がなく絶縁とも言われたが2004年7月、武藤と三沢のタッグマッチが行われて試合後に小島が三沢にシングルマッチでの対戦を直訴して、三沢が4年ぶりに古巣に参戦。その後10月の武藤敬司デビュー20周年記念興行では武藤と三沢がタッグを組んだ。武藤の新日本脱退、全日本の社長就任でこの両者の対戦の可能性は絶望的と考えられていたため注目された。 2005年8月と10月、「WRESTLE-1 GP」が開催。全日本からムタ、諏訪間(現:諏訪魔)、ノアからは三沢、小川良成、秋山が参戦したが、両団体の選手が絡むことはなかった。 2006年、佐々木健介のデビュー20周年興行に全日本、ノアが協力。健介とのトークで出場した武藤と小島が、試合後に健介とタッグを結成した小橋とリング上で握手している。小島は小橋のことを今でも尊敬する人物の1人として挙げている。 2008年、丸藤正道が参戦して土方隆司を破って世界ジュニアヘビー級王者になると近藤との試合では年間最高試合賞を獲得。 2009年2月6日、カズとの選手権試合では興行史上初めてジュニアヘビー級の選手権試合がメインで行われた。その後、三沢が急逝。小島の呼びかけにより、小橋が古巣に参戦して対戦。その後、三沢追悼興行に武藤が参戦して田上明とタッグを結成して小橋&高山善廣組と対戦。 2003年以降、新日本との交流を打ち出して2005年には新日本の提案により、全日本の三冠ヘビー級王座と新日本のIWGPヘビー級王座それぞれのベルトを賭けた、史上初のWタイトルマッチが両国国技館で行われ、小島聡が天山広吉を破り四冠統一王者になったが、5月に天山に敗れてIWGPヘビー級王座から転落。翌年には新日本プロレスG1 CLIMAX2006に、5年ぶり7度目の出場をしたが、決勝で天山に敗れて準優勝に終わった。その後、小島と天山は共闘することになり、年末の世界最強タッグ決定リーグ戦では、2003年1月4日以来のテンコジを復活させて優勝を果たした。 2007年1月4日、新日本の東京ドーム大会に全面協力することを発表。IWGPヘビー級王座に太陽ケアが挑戦、また三冠ヘビー級王座に新日本の永田裕志が挑戦するタイトルマッチが行われた(双方王座防衛)。また武藤&蝶野組対天山&小島組という団体の垣根を越えた新旧世代のタッグマッチがあり、試合後、およそ8年ぶりのタッグを結成して勝利した武藤と蝶野が、闘魂三銃士の同胞だった橋本真也の生前の姿がスクリーンに映されトレードマークだった白い鉢巻を掲げるセレモニーがあった。 2008年1月4日、東京ドームでグレート・ムタが参戦して後藤洋央紀と対戦。4月には武藤が中邑真輔に勝利してIWGPヘビー級王者になった。7月には欠場中の小島が新日本のリングに参戦して天山を救出。テンコジを復活する形になり、そのままG1に参戦を表明。 8月31日、全日本の興行で初めてIWGPヘビー級選手権試合を開催。王者である武藤がG1 CLIMAX優勝者の後藤洋央紀に勝利して防衛に成功。小島と天山はその後、新日本のG1タッグリーグ戦、全日本の世界最強タッグリーグ戦でダブル優勝を果たした。 10月に行われた蝶野のデビュー25周年記念試合で、蝶野&武藤&小橋組対中西&小島&秋山組のメジャー3団体による豪華な6人タッグマッチが実現。 2008年からは女子プロレスラーの参戦も主に地方巡業で見られるようになっている。一方で、同じく横浜に道場を置いていたNEO女子プロレスに小島が参戦。 2009年3月、新日本、全日本、ノアの3団体でプロレスラーの共通ライセンス構想を発行する構想も浮上するなど良好な関係を築いていたが、2010年6月に全日本が一方的に同構想から離脱したことに新日本とノアが反発して全日本は「ライセンス構想と選手の交流は別の話」、「鎖国しているわけではないので来る者は拒まず」との姿勢を打ち出しているものの以後、新日本とノアは態度を硬化させ、特にノアとの交流は一時完全に途絶えた。一方で関西を地盤とする準メジャー団体のDRAGON GATEとは2011年に共通の放送局であるGAORAの開局記念番組として「スーパーファイト2011」を開くに至った。 2011年3月11日、東北地方太平洋沖地震が発生したため、「被災者へのチャリティー目的などでメジャー団体が一致団結する必要がある」との認識から新日本、ノアとの関係が改善。4月のチャンピオン・カーニバルに新日本から永田裕志、ノアから秋山が参戦することが決定するなど、両団体との交流が復活した。 10月23日、両国国技館で三冠ヘビー級王座はノアの秋山、世界タッグ王座はAAAのダーク・オズ&ダーク・クエルボ、世界ジュニアヘビー級王座はDDTプロレスリングのケニー・オメガ、アジアタッグ王座は大日本プロレスの関本大介&岡林裕二へ、史上初めて4つのタイトル全てが同日に他団体へ流出。 2012年7月1日、共に旗揚げ40周年を迎える新日本プロレスとの合同興行「サマーナイトフィーバー in 両国 WE ARE PRO-WRESTLING LOVE!」を両国国技館で開催。
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