2003年 - 2008年: 第一次サナデル政権
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2003年クロアチア総選挙(en)の後、クロアチア民主同盟は33.9%の得票率を獲得し、151議席中66議席を獲得した。協力関係にある民主中道党やクロアチア社会自由党と合わせても議会の過半数を占めるには至らなかったが、左派の独立民主セルビア人党とクロアチア年金者党を加えた連立政権を樹立した。 幅広く多様な政党の連立であったが、サナデル主導の政権は欧州連合に加盟するための諸条件を満たすべく積極的に政治に取り組み、難民の帰還や紛争で破壊された家屋の復興、政府に少数民族の代表を入れる等の少数民族の権利擁護政策、旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷(ICTY)との協力、クロアチアの経済の発展などを進めた。しかし、欧州連合理事会は、ICTYの手配を受けているクロアチアの将軍アンテ・ゴトヴィナに対する捜査に非協力的として、クロアチアの欧州連合加盟交渉の開始を延期した。 これによってクロアチアでは欧州懐疑主義が広がり、クロアチア民主同盟への支持は強まった。欧州連合への加盟を主要な目標としていたサナデルの改革路線に対する党内の反対の声が強まった。この党内反対勢力は2005年の地方選挙で頭角を現し、その主要人物であったブラニミル・グラヴァシュ(Branimir Glavaš)は党を離脱し、サナデル政権の転覆を試みた。
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