2000年噴火
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 07:48 UTC 版)
2021年時点で最新の噴火は2000年(平成12年)の噴火である。 予知 3月27日からの火山性地震の分析や断層の探索により近日中の噴火が予知され、3月29日には気象庁から緊急火山情報が出された。これを受けて壮瞥町・虻田町(当時)・伊達市の周辺3市町では危険地域に住む1万人余りの避難を噴火までに実施していた。通常、緊急火山情報は人命に関わるような噴火が発生したことを知らせるものであり、噴火前に発表されたのはこの時が初めてとなる。有珠山には350年前から噴火の記録があり、そのデータ蓄積の多さから比較的「噴火予知のしやすい火山」であること、噴火を繰り返す周期が短くかつ一定で、地域の住民の多くは前回、前々回、そのさらに前の噴火を経験した人、あるいは年長者から伝え聞いたことのある人もいること、「温泉など、有珠山の火山活動による恩恵を受けて暮らしているのだから、30年に1度の噴火は当然受け入れなければいけない」という意識が高く、周辺市町のハザードマップの作成や普段から児童への防災教育がなされており、危険地域を避けた適切な避難誘導を行っていたこともあり、被害は限局化された。噴火直前北海道大学有珠火山観測所が144時間以内に噴火すると予告し(当時、北海道大学大学院理学研究科附属地震火山研究観測センター教授であった岡田弘らによる会見が随時行われた)、その予告から143時間目に噴火した。 活動推移 3月31日午後1時7分、国道230号のすぐ横の西山山麓からマグマ水蒸気爆発。噴煙は火口上3,500mに達し、周辺に噴石放出、北東側に降灰した。噴火直後より、内閣安全保障・危機管理室からの要請で札幌行の特急列車を長万部駅で運行を打ち切って洞爺駅へ回送させ、折り返し虻田・豊浦町民を長万部町へ移送する等の避難列車を仕立てた。翌日には西山西麓や温泉街に近い金比羅山でも新火口が開き、付近に次々と新しい火口を形成した。火口に近い地域では噴石や地殻変動による家屋の破壊が多発した。同年8月になると深部からのマグマ供給が停止し、9月以降は空振や火山灰噴出の活動は衰えた。なお、翌2001年の春頃まで続いた一連の火山活動では「新山」の形成は確認されなかったが、地殻変動の結果、西側の山麓では、噴火前よりも最大で約70メートル地面が隆起することとなった。 噴火の被害 国道230号は噴火によって通行不能となり、後に溶岩の貫入による地盤の隆起により階段状の亀裂が発生し通行不能になった。金比羅山火口からは熱水噴出により熱泥流が発生し洞爺湖温泉街まで流下、西山川に架かる2つの橋が流失した。また、広い範囲で地殻変動による道路の損壊が発生した。なお、噴火後に避難者数は最大約1万6千人まで拡大した。北海道旅客鉄道(JR北海道)室蘭本線は跨線橋の落下などのため一時不通となり、長距離及び貨物列車の一部は函館本線経由で迂回運行された。3月29日から2001年(平成13年)6月30日までの間、道央自動車道の一部区間が路面損壊などのため通行止となった。熱泥流に襲われ校舎が損壊した洞爺湖温泉小学校は、敷地が砂防堰堤用地になったことも合わせて再び移転改築を余儀なくされた。 噴火の影響 室蘭市入江運動公園陸上競技場で開催が予定されていたサッカー・J2のコンサドーレ札幌対浦和レッズ(4月9日開催)、ナビスコ杯・コンサドーレ札幌対ガンバ大阪(4月12日開催)は試合開催と復旧作業を同時に行うと混乱を招くことから開催を延期し、前者は7月16日に同会場で、後者は5月24日に札幌厚別公園競技場で代替試合を開催した。
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