1990年代から2000年代中盤とは? わかりやすく解説

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1990年代から2000年代中盤

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/03 03:14 UTC 版)

発泡酒」の記事における「1990年代から2000年代中盤」の解説

1989年平成元年)に酒類販売免許緩和され大型ディスカウント店ビールを扱うことができるようになった。これによりこれまでの小売店での希望小売価格での購入減り大店舗間での低価格競争起こった。それらの競争は、卸売業者生産メーカーへの値下げ要望となったのだが、そもそもビールはその小売価格のうち46.5%が税金占められ値下げ難し商品であった1990年代前半における日本国ビール一般的な価格225前後)。また、日本国ビール値下げ難しいため、日本国外の安い輸入ビール取り扱う店が急増し日本国内大手ビール会社危機感募らせていた。 この状況対し日本国内ビール会社価格内容対抗出来商品開発急務であり、麦芽使用量を抑えた酒類研究・開発進められていた。当時酒税法では麦芽比率67%(3分の2)以上のものをビールそれ未満は「雑酒 - 発泡酒」の区分けで、ビール比べ税率は低い条件になっていた。1990年代前半においてシェアが5%台と大苦戦していたサントリー打開策として発泡酒税率低さ注目し過去20年行われた麦芽比率における発泡酒醸造研究活かし日本人嗜好に合う味と価格面でも支持を得るような新商品開発具体化させ、麦芽比率低下による香味への影響原料酵母醸造技術解決して商品化至った1994年平成6年10月麦芽率を65%に抑え低価格(350ml缶、希望小売価格180円、税別)を実現させた発泡酒「ホップス」をサントリー発売して順調な滑り出しをみせ、発泡酒市場形成する起点となった。翌1995年5月には サッポロビール麦芽比率25%未満で更に低価格(350ml缶、希望小売価格160円、税別)の「ドラフティー」を新発売し、品薄になって増産体制を整えるほどの売上となり、発泡酒本格的な競争開始された。 当時は「節税ビール」や「麦芽アルコール飲料」とも呼ばれ、味はビール比べ小異や劣ると評されながらも低価格功を奏し発泡酒売り上げ好調だったが、同時にビール売上商品構成比率低下した政府1996年平成8年)秋、酒税改訂麦芽50%上の発泡酒税率ビールと同じとした。発泡酒ねらい打ちにした改訂で、商品開発を行う企業努力無視した行為だと大手ビールメーカーは反発したサントリーは秋の酒税法変更対し麦芽使用率を低減しながら技術革新乗り越え麦芽使用率を25%未満にした「スーパーホップス」を1996年5月28日から市場投入して低価格(350ml缶、希望小売価格145円、税別)に対応した1998年平成10年)には、キリンビール発泡酒初参入となる「麒麟淡麗〈生〉」を発売同年発泡酒市場シェア50%以上を占め大ヒット商品となり、同時に発泡酒市場大きく拡大した2001年平成13年)、アサヒビール発泡酒市場初参入となる「本生」(現アサヒ本生ドラフト)を発売アサヒビールこれまでビールまがいものである発泡酒発売しない」と表明してきたが、その間毎年のように新発売したビール新製品不振であったことから方針転換し、当時成長過程にあった発泡酒市場への参入決め理由として「発泡酒カテゴリー成立したから」と説明している。 2000年代初旬は「健康志向」の機運高まっていたことで、サントリー発泡酒初めて「カロリーオフ」「ダイエット」をテーマにし、味とカロリーオフ両立実現したダイエット生」を2001年10月10日発売、カロリーオフカテゴリーの初回出荷数で過去最高値記録し食品ヒット大賞受賞した2002年4月発売され麒麟麦酒淡麗グリーンラベル」は、日本の食業界過去多数発売されたが、いずれも主流には至らず成功しないカテゴリー」が定説となっていたライト商品カテゴリー該当し先行き懸念された。しかし、当初計画比約3.3倍の1310ケース販売し同年発泡酒新製品圧倒的な売上で、ライト商品カテゴリー定説覆し初め成功収め食品ヒット大賞受賞した2002年には各社から健康志向合わせた商品発売され発泡酒に「機能性」という市場創造され定着したことで、特徴のひとつとなった2002年平成14年)、麒麟麦酒2月27日新発売した発泡酒生」は飲みやすさと買いやすさを追求しテレビCM無し容器パッケージ簡素化などの販売コスト圧縮したことで350ml缶の希望小売価格135円とし、通常の発泡酒比べ10円安く設定した。これに他社追従して一部商品価格変更したり、ビールメーカーのリベート加熱したことで、値引き競争泥沼化乱売合戦展開されビール会社大きな経営課題となっていた。同年におけるビール類(ビール発泡酒市場シェア発泡酒は37.2%を占め全盛期迎えていた。 2003年平成15年)、4月ビール類(ビール発泡酒市場シェア発泡酒は48.2%と月単位シェア過去最高を記録し5月1日から酒税法改正され発泡酒増税され、商品価格反映され10円値上げとなった。この改正要因となり、さらなる安い税率アルコール飲料研究・開発活かし第三のビール商品化至ったまた、発泡酒増税によって2002年から激化していた値引き競争緩和し、更に2005年のビールメーカーによるリベート見直しビール産業企業方針転換価格から価値へ、量から質へ、シェアから利益へ)などの要因によって、発泡酒値引き競争乱売時代終焉迎えた

※この「1990年代から2000年代中盤」の解説は、「発泡酒」の解説の一部です。
「1990年代から2000年代中盤」を含む「発泡酒」の記事については、「発泡酒」の概要を参照ください。

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