1990年代から2000年代中盤
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「発泡酒」の記事における「1990年代から2000年代中盤」の解説
1989年(平成元年)に酒類販売免許が緩和され、大型ディスカウント店でビールを扱うことができるようになった。これによりこれまでの小売店での希望小売価格での購入が減り、大店舗間での低価格競争が起こった。それらの競争は、卸売業者や生産メーカーへの値下げ要望となったのだが、そもそもビールはその小売価格のうち46.5%が税金で占められ、値下げは難しい商品であった(1990年代前半における日本国産ビールの一般的な価格は225円前後)。また、日本国産ビールの値下げが難しいため、日本国外の安い輸入ビールを取り扱う店が急増し、日本国内の大手ビール会社は危機感を募らせていた。 この状況に対し、日本国内のビール会社は価格と内容で対抗出来る商品の開発が急務であり、麦芽使用量を抑えた酒類の研究・開発が進められていた。当時の酒税法では麦芽の比率が67%(3分の2)以上のものをビール、それ未満は「雑酒 - 発泡酒」の区分けで、ビールに比べ税率は低い条件になっていた。1990年代前半においてシェアが5%台と大苦戦していたサントリーは打開策として発泡酒の税率の低さに注目し、過去20年行われた低麦芽比率における発泡酒醸造の研究を活かし、日本人の嗜好に合う味と価格面でも支持を得るような新商品の開発を具体化させ、麦芽比率の低下による香味への影響を原料・酵母・醸造技術で解決して商品化に至った。 1994年(平成6年)10月に麦芽率を65%に抑え低価格(350ml缶、希望小売価格180円、税別)を実現させた発泡酒「ホップス」をサントリーが発売して順調な滑り出しをみせ、発泡酒市場を形成する起点となった。翌1995年5月には サッポロビールが麦芽比率25%未満で更に低価格(350ml缶、希望小売価格160円、税別)の「ドラフティー」を新発売し、品薄になって増産体制を整えるほどの売上となり、発泡酒は本格的な競争が開始された。 当時は「節税ビール」や「麦芽アルコール飲料」とも呼ばれ、味はビールと比べ小異や劣ると評されながらも低価格が功を奏し、発泡酒の売り上げは好調だったが、同時にビールの売上や商品構成比率が低下した。政府は1996年(平成8年)秋、酒税を改訂、麦芽率50%以上の発泡酒の税率をビールと同じとした。発泡酒をねらい打ちにした改訂で、商品開発を行う企業努力を無視した行為だと大手ビールメーカーは反発した。サントリーは秋の酒税法変更に対し麦芽使用率を低減しながら技術革新で乗り越え、麦芽使用率を25%未満にした「スーパーホップス」を1996年5月28日から市場に投入して低価格(350ml缶、希望小売価格145円、税別)に対応した。 1998年(平成10年)には、キリンビールの発泡酒初参入となる「麒麟淡麗〈生〉」を発売、同年の発泡酒市場のシェア50%以上を占める大ヒット商品となり、同時に発泡酒市場は大きく拡大した。 2001年(平成13年)、アサヒビールが発泡酒市場初参入となる「本生」(現アサヒ本生ドラフト)を発売。アサヒビールはこれまで「ビールのまがいものである発泡酒は発売しない」と表明してきたが、その間毎年のように新発売したビール新製品が不振であったことから方針転換し、当時成長過程にあった発泡酒市場への参入を決め、理由として「発泡酒カテゴリーが成立したから」と説明している。 2000年代初旬は「健康志向」の機運が高まっていたことで、サントリーは発泡酒で初めて「カロリーオフ」「ダイエット」をテーマにし、味とカロリーオフの両立を実現した「ダイエット生」を2001年10月10日に発売、カロリーオフカテゴリーの初回出荷数で過去最高値を記録し、食品ヒット大賞を受賞した。2002年4月に発売された麒麟麦酒「淡麗グリーンラベル」は、日本の食品業界で過去に多数発売されたが、いずれも主流には至らず「成功しないカテゴリー」が定説となっていたライト商品のカテゴリーに該当し先行きが懸念された。しかし、当初計画比約3.3倍の1310万ケースを販売し、同年の発泡酒新製品で圧倒的な売上で、ライト商品カテゴリーの定説を覆し初めて成功を収め、食品ヒット大賞を受賞した。2002年には各社から健康志向に合わせた商品が発売され、発泡酒に「機能性」という市場が創造され定着したことで、特徴のひとつとなった。 2002年(平成14年)、麒麟麦酒が2月27日に新発売した発泡酒「極生」は飲みやすさと買いやすさを追求し、テレビCM無し、容器・パッケージ簡素化などの販売コストを圧縮したことで350ml缶の希望小売価格を135円とし、通常の発泡酒に比べ10円安く設定した。これに他社も追従して一部商品の価格を変更したり、ビールメーカーのリベートが加熱したことで、値引き競争の泥沼化と乱売合戦が展開され、ビール会社の大きな経営課題となっていた。同年におけるビール類(ビール・発泡酒)市場シェアで発泡酒は37.2%を占め全盛期を迎えていた。 2003年(平成15年)、4月のビール類(ビール・発泡酒)市場シェアで発泡酒は48.2%と月単位シェアで過去最高を記録し、5月1日から酒税法が改正され発泡酒は増税され、商品価格に反映されて10円の値上げとなった。この改正が要因となり、さらなる安い税率のアルコール飲料の研究・開発を活かし、第三のビールの商品化に至った。また、発泡酒の増税によって2002年から激化していた値引き競争が緩和し、更に2005年のビールメーカーによるリベート見直し、ビール産業企業の方針転換(価格から価値へ、量から質へ、シェアから利益へ)などの要因によって、発泡酒の値引き競争・乱売時代は終焉を迎えた。
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