1990年代から2010年代まで
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「夫婦別姓」の記事における「1990年代から2010年代まで」の解説
1991年には法制審議会が「民法の婚姻・離婚制度の見直し審議」を開始した。1996年には法制審議会が選択的夫婦別氏制度を含む「民法の一部を改正する法律案要綱」を答申した。しかし、自民党内の反対・慎重論によって同年5月に国会上程が見送りとなった。 「#1996年法制審議会答申」も参照 1992年の時点では多くの選択的夫婦別氏制推進団体の存在が報告されている。 1997年にも自民党法務部会「家族法に関する小委員会」(座長:野中広務)で「旧姓続称制度」が検討されたが見送られた。また、この頃より「選択的夫婦別姓制度」とする民法改正案が議員立法により提出されるようになった。 その後も、1999年の男女共同参画社会基本法の成立および男女共同参画局の設立により選択的夫婦別姓問題は中心的課題と位置づけられた。一方で、山口智美は、これらの運動が、日本会議や神道政治連盟などの反発を呼び起こしたとの主張している。 「バックラッシュ (社会学)」も参照 2001年11月に法務省は選択的夫婦別氏案を再提示したが見送られた。2002年4月には、法務省は例外的夫婦別氏案を提示、意見一致せず見送りとなった。同年7月には、自民党内の選択的夫婦別姓制度を求める議員ら(野田聖子ら例外的に夫婦の別姓を実現させる会)が法案の国会提出を模索し、党内反対派に譲歩し、家裁の許可を要件とすることを盛り込んだ例外的夫婦別氏制を議員立法で自民党法務部会に提出。しかし党内合意に至らず国会提出は見送られた。その後、2010年代までは党内の議論は停滞した。 一方、立憲民主党や国民民主党、社民党、共産党などは、法制審答申以来、超党派で会期ごとに民法改正案を国会に提出し続けている。2001年には公明党も参議院に選択的夫婦別氏案を提出した。(「#超党派野党案/公明党案」を参照) 2003年(平成15年)国際連合女子差別撤廃委員会が、婚姻最低年齢、離婚届後の女性の再婚禁止期間の男女差、非嫡出子の扱いと共に「夫婦の氏の選択などに関する、差別的な法規定を依然として含んでいることに懸念を表明する」と日本に勧告。その後も2009年、2016年に勧告。これに対し、日本国政府は2008年4月に選択的夫婦別氏について、国民の議論が深まるよう努めていると報告したが、2009年8月に再度、委員会は委員会は依然差別的な法規定が撤廃されていないことについて懸念を有すると勧告したほか、「本条約の批准による締約国の義務は、世論調査の結果のみに依拠するのではなく、本条約は締約国の国内法体制の一部であることから、本条約の規定に沿うように国内法を整備するという義務に基づくべき」と勧告した。政府は2014年8月にも国連に報告書を提出したが、2016年に委員会は再度批判的勧告を出した。(「#国連女子差別撤廃委員会勧告」を参照) 一方、2010年に、民主党・社民党・国民新党の連立政権で法案提出が議論され、同年2月には1996年の法制審議会答申に沿った改正案が法務省政策会議で示された。しかし連立政権を組んだ国民新党の反対や党内からの異論があり法案提出に至らなかった。 また、多くの訴訟が起きている。2006年に別氏婚姻届不受理取り消しの申立てが却下。2011年に国に対し選択的夫婦別氏の導入を求める訴訟提議、2015年に最高裁は棄却。その後も同様の訴訟が4件提議されている。(「#選択的夫婦別氏訴訟」を参照) 2016年には、結婚後に職場で旧氏の通称使用を認めないのは人格権の侵害だとして、女性教諭が勤務先の学校法人を東京地裁に提訴、同年棄却。2017年に和解した(「#女性教諭旧姓通称使用訴訟」を参照)。 2018年以降、地方議会から国へ選択的夫婦別氏法制化を求める意見書を可決する動きが広がり、三重県議会、東京都議会、大阪府議会等で意見書が可決された。(「#地方自治体議会」を参照) 2019年の参議院選挙では、選択的夫婦別氏の是非が争点に挙げられた。
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