1973年のメッセージ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 06:50 UTC 版)
「ラエリアン・ムーブメント」の記事における「1973年のメッセージ」の解説
ラエルは1973年12月13日にフランス中部の山岳地帯で、空飛ぶ円盤から降りてきた異星人と遭遇した。異星人の身長は120cm、やや緑掛かった白色の肌で黒色の長髪と短いあご髭を生やしていた。異星人は自らをエロヒムと名乗った。エロヒムとは旧約聖書に出てくる単語であり、現在では「神」を意味するが、彼らの主張によるとヘブライ語の原典において「空から来た人々」と解釈する。エロヒム〈Elohim〉は複数形であり、単数形はエロハ〈Eloha〉となる。 エロヒムはテレパシーでラエルを山の上へ呼び寄せたと伝えた。人間の髪と髭はテレパシーのアンテナの役割を持つとも述べている。世界中の言語を話せると言い、フランス語でラエルと会話した。エロヒムはラエルに聖書と筆記用具を持参するように伝え、翌日より6日間に渡り同じ場所に円盤は出現し、ラエルは円盤内でエロヒムの話をノートに書き留めた。話の前半は聖書の有名な記述を部分的に紹介しながらその真実を解説したもの、後半はエロヒム自身について、そして人類の将来的な指針について述べている。 エロヒムは25,000年前に彼らの科学者や芸術家たちが地球に訪れ、生命創造の実験を開始したと語った。彼らの惑星では事故により生命創造に関する実験が禁止されたからである。彼らは地球を生物に適した惑星にするため大気組成を調査した後、まず1つの巨大な大陸を形成し、地球の物質から植物の細胞を創造した。かつて地球の大陸が1つだったのはそのためだとする。その後、全ての生命を創造し、現代で言うエコロジーと呼ばれる生態系を創ったとされる。 アダムとイブもDNAの段階から創造された試験管ベビーである。かつてエロヒムの星の政府は人類の文明の進歩が自身の安全を脅かす可能性があると考えており、科学に関しては人類を無知の状態にしていた。しかし、現在のイスラエル付近にあった実験場の1つであるエデンの園(創造物のコンクールにおいて、この地の人間は最も成功を収めるタイプと評価されている)において、エロヒムの中に人間に深い愛情を抱き、科学技術を発展させれば創造者と同様になれることを人間に教える者たちが現れ、この件によって実験場の中にいた人間は野外へ出された。生命創造の実験後に地球追放される事になったエロヒムの科学者たちは自らのグループを地を這う「蛇」と呼び、人類と共に暮らした。 その後、人類の科学技術は桁外れなものとなり、人類が自立を始めた為にエロヒムの惑星の者たちは人類を危険な存在とし、核ミサイルによって地球上の全ての生命が葬られる事になった。しかし、地球に残されたエロヒムの指導によって、ノアに宇宙船を造らせ、宇宙船は数千キロメートル離れた上空に退避した。大災害の後、放射能を除去し、宇宙船に保存していた細胞を用いて再び地球に生命は創造された。再創造の際、恐竜を含む管理なく生存できない生物は復活させなかった。 その頃、エロヒム自身も自らが別の知的生命体に創造されていた事、かつて自分たちの星で起きた出来事を繰り返していた事を知る。エロヒムは人類が科学的な進歩を望むことが当然だと認識し、科学的な進歩を人類自身の手に委ねた。人類が道徳的に正しく進歩する為、生命創造の痕跡を残す為にエロヒムは人類の中から預言者を選び出し、間接的に人類に接するのみに留まった。 モーセやエリヤ、エゼキエルらの前に姿を現したエロヒムは、その後ひとりの「メシア」を遣わすために、マリアに創造者(主)の子をもうけた。イエスやモーセによる様々な奇跡は、創造者の科学技術によるものである。イエス・キリストは、エロヒムが人類を創造した証としての聖書を、世界中に広める役割を持っていた。この役割は、本来はイスラエル人に与えられていたものである。 ラエルはモーセ、釈迦、イエス・キリスト、ムハンマドなどのエロヒムが遣わした預言者たちに続く、アポカリプス(黙示録、ギリシャ語で全ての事が科学的に理解できる時代と解釈しており、世界の終末の意味ではない)の時代の最後の預言者になる。エロヒムよりラエルの名でメッセージを広め伝えること、エロヒムを迎える大使館を建設することを要請される。 将来人類もエロヒムと同様に創造者となり、他の惑星に生命を誕生させる時が来るという。またエロヒムは他の多くの惑星と経済的交流をもっている。エロヒムの世界では、完全な有機物による生物ロボットを使うことにより労働の義務がなく、貨幣制度も結婚制度も存在せず、知性が高い人々によって選ばれた天才たちによって統治されているという。人類の破滅を避けるためには、天才たちによる天才政治、人道的人類主義、単一の貨幣制度および世界政府実現が必要であると記されている。
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