1973年のガメラ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/08 01:46 UTC 版)
「小さき勇者たち〜ガメラ〜」の記事における「1973年のガメラ」の解説
1973年にギャオスと戦ったガメラはアヴァンガメラと名付けられた。人間を守るかのように4体のギャオスと戦うが、最終的には自爆して人々を救う。その自爆は地形を変えるほどの威力であり、本土と地続きだった灯台岬を孤島に変えてしまった。そのガメラが自爆した近海では緋色の真珠(一説には爆散したガメラのエネルギーの固形体とされる)が取れるようになり、それが名産品となって被災地の復興に貢献したらしい。アヴァン (avant) は「前の」「先行する」の意味。飛行する場面はないが、劇中で麻衣が透に手渡した資料(ウェブページのプリントアウト)には、飛行する事が書かれており、小説やコミックではガメラは海から現れたので、1973年の志摩の以前にもアヴァンガメラと人間の遭遇があったと考えられる。「ガメラ2006 HARDLINK」では、志摩の沖で既にギャオスたちと戦闘を開始しており、陸上でも火球を全弾命中させたり背後から攻撃されても地面にたたきつけるなど格闘能力も見せていた。また、アヴァンガメラのDNAはギャオスのDNAに対して強力な死滅効果を持っている。その後10年間、人類は10万人もの動員で大王崎周辺からギャオスの遺骸をふくめ6万点以上のギャオスのサンプル群を発見・回収したが、ガメラに関しては細胞を含む一つもサンプルを発見できなかった。ガメラの生死を確認できなかったのが、政府が「巨大生物審議委員会」を閉鎖しなかった理由としているが、33年後の事件前には怪獣同士の生態系の確認やその可能性が排除されたので閉鎖が確定的になった。ギャオスのサンプルの回収後、世界各国のトップレベルの科学者12人による遺伝研究が開始され、横浜の地下で膨大な数のスーパーコンピューターを駆使し、バーチャルの地球環境を複製、アヴァンガメラのDNAのバーチャルモデルを99%の正確性で復元構築できたが、その驚くべき結果に、メンバーの一名が自死を選んだとされる。バーチャルモデルの遺伝子が、後にガメラ(トト)の成長に使われた。
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