1973年の戦績とは? わかりやすく解説

1973年の戦績

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/30 08:31 UTC 版)

フェラーリ・312PB」の記事における「1973年の戦績」の解説

1973年耐久選手権には、1972年のル・マン24時間レース優勝したマトラが全戦出場体制明らかにしており、そのマトラMS670Bに搭載されるV12エンジンは475hpを発生するといわれた。エンジン出力だけで見た場合フェラーリ312PBマトラMS670Bはほぼ同性能であり、互角戦いをすると見られていたが、1973年のフェラーリチームは、親会社フィアット意向レース活動予算大幅に減らされてしまった。 第1戦にあたる、デイトナ24時間資金不足と言われる)のため不参加となり、第2戦のヴァレルンガ6時間から参戦した。だが、序盤1973年型の延長されホイールベース原因アンダーステア克服できず、マトラ後塵拝したこの年選手権は、11戦中上位8戦のポイント合計で争う有効ポイント制導入されていたが、最終戦開催されなかったため、10戦中7戦の有効ポイントチャンピオン決定されることになり、その結果、有効ポイントで勝るマトラに、マニファクチュアラーズチャンピオンを明け渡す結果になった翌年ル・マンでもマトラ優勝したが、皮肉にもマトラは、スポーツカーレース入れ込みすぎた結果、マトラ・オートモビルの屋台骨を傾かせる結果になったその後スクーデリア・フェラーリは、フィアットレース予算縮小決定を受け、F1一本絞った活動結果1974年以後F1で目覚しい活躍をすることになる。なお、312PBは1974年向けた改良なされており、予算縮小なければ1974年ワークスレース参加したであろうと言われている。1974年型に改良されマシンは、プライベーター売却されレース参戦したが、1974年以降フェラーリワークスとしてスポーツカーレースには参加していない(2008年現在)。 世界メーカー選手権 第1戦 デイトナ24時間出場せず 第2戦 ヴァレルンガ6時間:(0894)2位 (0888)3位 (0892)4位 第3ディジョン1000km:(0890)2位 (0892)4位 第4戦 モンツア1000km:(0888)1位 (0894)2位 (0896)リタイア 第5戦 スパ・フランコルシャン1000km:(0890)4位 (0888)リタイア 第6戦 タルガ・フローリオ:(0892、0894)リタイア 第7戦 ニュルブルクリング1000km:(0888)1位 (0890)2位 第8戦 ル・マン24時間:(0896)2位 (0892、0888)リタイア 第9戦 オーストリア1000km:(0896)3位 (0890)6位 第10戦 ワトキンズグレン6時間:(0896)2位 (0890)3位 (0892)リタイア 第11戦 ブエノスアイレス1000km:レース中止アルゼンチン政情不安のため)

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