1967年 - 1971年
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「ドアーズ」の記事における「1967年 - 1971年」の解説
ウィスキー・ア・ゴーゴーで人気を集め始めたバンドに目をつけたプロデューサー、ポール・A・ロスチャイルドによって、ドアーズはエレクトラ・レコードと1966年に契約する。それは、ロスチャイルド及びエンジニアのブルース・ボトニックとの長く成功したパートナーシップの始まりであった。ヤング・ラスカルズ同様に敢えてベーシストは置かず、レイ・マンザレクがローズ・ピアノベースを左手で弾くことでベースパートを補った(レコーディングおよび後期のステージではサポートベーシストを起用)。10分にも及ぶ大作「ジ・エンド」を含むデビュー・アルバム『ハートに火をつけて』は、1967年1月にリリースされる。アルバムは数日間で収録され、ほとんどの曲は第一テイクが採用された。モリソンとマンザレクは第一弾シングル「ブレイク・オン・スルー」用のプロモーション・フィルムを監督し、それはミュージック・プロモーションの重要な布石となった。「ブレイク・オン・スルー」では曲中の She gets high, という歌詞がドラッグの影響を表す物として放送禁止になることを恐れたエレクトラが、high の部分を消してリリースし長らくその部分を聞くことが出来なかったが、後にリリースされたリマスター盤で聴くことが出来るようになった。(なお、オリジナルのミックスに基づく再発盤のレコードでは引き続きhighが消されたものが採用されている) アルバムはセンセーションを引き起こし、第2弾シングル「ハートに火をつけて(Light My Fire)」は大ヒットした。ビルボード(Billboard)誌では、1967年7月29日に週間ランキング第1位を獲得。1967年の年間ランキングでは第2位となった。バンドは、ジェファーソン・エアプレインやグレイトフル・デッドと並び、1967年におけるアメリカのトップ・バンドの一つとなった。 モリソンは、そのルックスと身体ラインを浮き立たせる革パンツでのステージ・パフォーマンスで、当時のポップ界におけるセックスシンボルの一人となった。彼はいわゆる「ロックスター」であることに極めて自覚的であり、ステージでは革パンツでセクシャルに立ち振る舞い、雑誌等のインタービューではメディアの飛びつきそうなキャッチーで過激な語句を使用するなど、マスメディアによるグループのイメージ構築を、意図的に、試験的に行っていた。しかし、人気が全米的なものになり、彼はスターとしての地位の中で次第にフラストレーションを感じるようになった。 2ndアルバム『まぼろしの世界』は、1stアルバム同様に強力な作品で、バンドの評判は強固な物となった。3作目『太陽を待ちながら』は、彼らの最初のNo.1アルバムであり、同作からのシングル「ハロー・アイ・ラヴ・ユー」は、2枚目のアメリカでのNo.1シングルであった。同年、「タッチ・ミー」もTop3ヒットとなったが、この曲を収めた翌年のアルバム『ソフト・パレード』はややポップス寄りの内容となり、前2作品ほど評価は芳しくなかった。 ドアーズのライブ・ステージは挑発的であり、反抗的だという評判を得ることとなった。1967年の『エド・サリヴァン・ショー』出演時、CBSの担当者は「ハートに火をつけて」の歌詞の一節、"Girl we couldn't get much higher" を、ドラッグを想起させるとして "Girl we couldn't get much better" と変えて歌うよう要求した。しかしながらモリソンはオリジナルの歌詞をそのまま歌い、生放送の番組でそのまま放送された。エド・サリヴァンは非常に怒り、彼らとの握手を拒絶し、ドアーズはその後番組に招かれることはなかった。(激怒したサリヴァンに舞台裏で「二度と出演はないと思えたまえ」と詰め寄られた際、モリソンは「もうエド・サリヴァン・ショウは卒業した」とと返した、というエピソードもある) また、1967年後半にコネチカット州ニューヘイブンで行ったライブ中には、モリソンが野卑で不道徳な言動をステージ上で行った(ライブ開始前にもめた警察官をステージ上から挑発し罵った)角で、警察3名によりステージから引き摺り下ろされ、治安破壊罪および公務執行妨害で逮捕された。これは、ライブ中に即座に逮捕された初のロックコンサートと言われている。 1968年8月2日のニューヨークen:Singer Bowlのコンサートでは、モリソンが聴衆を煽りたて、ステージに乗り込んだ聴衆たちを警察が警棒を振りかざして追い回しため、怒った聴衆たちの間で暴動が起こった。 1969年3月1日のフロリダ州マイアミでのコンサートで、モリソンはステージ上で観客を罵倒し暴動を煽り、ギタリストに口淫するフリや、自身の股間上でマスターベーションの手の動きをしながら、最終的に性器を露出したとして逮捕される。モリソンは、軽犯罪および重犯罪容疑で起訴され、軽犯罪容疑での裁判は引き続いた。判決前にモリソンは語った。「僕はマイアミ事件での裁判でおよそ1年半の多くの時間を浪費した。しかしそれは価値のある経験だったと思う。なぜなら裁判前僕はアメリカの司法制度に対して、非常に非現実的な学生のような態度を取っていたからだ。僕の目は少し開いたよ」。なお、モリソンには妻のパトリシア・ケネリーがいた。
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