1967年-1971年とは? わかりやすく解説

1967年 - 1971年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/06 03:23 UTC 版)

ドアーズ」の記事における「1967年 - 1971年」の解説

ウィスキー・ア・ゴーゴー人気集め始めたバンドに目をつけたプロデューサーポール・A・ロスチャイルドによって、ドアーズエレクトラ・レコード1966年契約する。それは、ロスチャイルド及びエンジニアのブルース・ボトニックとの長く成功したパートナーシップ始まりであったヤング・ラスカルズ同様に敢えてベーシスト置かずレイ・マンザレクがローズ・ピアノベースを左手で弾くことでベースパートを補ったレコーディングおよび後期ステージではサポートベーシストを起用)。10分にも及ぶ大作ジ・エンド」を含むデビュー・アルバムハートに火をつけて』は、1967年1月リリースされるアルバム数日間収録され、ほとんどの曲は第一テイク採用された。モリソンマンザレク第一弾シングルブレイク・オン・スルー」用のプロモーション・フィルム監督し、それはミュージック・プロモーション重要な布石となった。「ブレイク・オン・スルー」では曲中の She gets high, という歌詞ドラッグ影響を表す物として放送禁止になることを恐れたエレクトラが、high部分消してリリースし長らくその部分聞くことが出来なかったが、後にリリースされリマスター盤聴くことが出来ようになった。(なお、オリジナルミックスに基づく再発盤レコードでは引き続きhigh消されたものが採用されている) アルバムセンセーション引き起こし第2弾シングルハートに火をつけてLight My Fire)」は大ヒットした。ビルボードBillboard)誌では、1967年7月29日週間ランキング第1位獲得1967年年間ランキングでは第2位となったバンドは、ジェファーソン・エアプレイングレイトフル・デッド並び1967年におけるアメリカのトップ・バンドの一つとなったモリソンは、そのルックス身体ライン浮き立たせるパンツでのステージ・パフォーマンスで、当時ポップ界におけるセックスシンボル一人となった。彼はいわゆるロックスター」であることに極めて自覚的であり、ステージでは革パンツセクシャル立ち振る舞い雑誌等のインタービューではメディア飛びつきそうキャッチー過激な語句使用するなど、マスメディアによるグループイメージ構築を、意図的に試験的に行っていた。しかし、人気全米的なものになり、彼はスターとして地位の中で次第フラストレーション感じようになった2ndアルバムまぼろしの世界』は、1stアルバム同様に強力な作品で、バンド評判強固なとなった。3作目太陽を待ちながら』は、彼らの最初No.1アルバムであり、同作からのシングルハロー・アイ・ラヴ・ユー」は、2枚目のアメリカでNo.1シングルであった同年、「タッチ・ミー」もTop3ヒットとなったが、この曲を収めた翌年アルバムソフト・パレード』はややポップス寄り内容となり、前2作品ほど評価芳しくなかったドアーズライブ・ステージ挑発的であり、反抗的だという評判を得ることとなった1967年の『エド・サリヴァン・ショー出演時、CBS担当者は「ハートに火をつけて」の歌詞一節、"Girl we couldn't get much higher" を、ドラッグ想起させるとして "Girl we couldn't get much better" と変えて歌うよう要求したしかしながらモリソンオリジナルの歌詞そのまま歌い生放送番組そのまま放送された。エド・サリヴァンは非常に怒り、彼らとの握手拒絶しドアーズその後番組招かれることはなかった。(激怒したサリヴァン舞台裏で「二度と出演はないと思えたまえ」と詰め寄られた際、モリソンは「もうエド・サリヴァン・ショウ卒業した」とと返した、というエピソードもある) また、1967年後半コネチカット州ニューヘイブン行ったライブ中にはモリソン野卑不道徳な言動ステージ上で行ったライブ開始前にもめた警察官ステージ上から挑発罵った)角で、警察3名によりステージから引き摺り下ろされ治安破壊罪および公務執行妨害逮捕された。これは、ライブ中に即座に逮捕された初のロックコンサートと言われている。 1968年8月2日ニューヨークen:Singer Bowlコンサートでは、モリソン聴衆煽りたて、ステージ乗り込んだ聴衆たちを警察警棒振りかざして追い回しため、怒った聴衆たちの間で暴動起こった1969年3月1日フロリダ州マイアミでのコンサートで、モリソンステージ上で観客罵倒し暴動煽りギタリスト口淫するフリや、自身股間上でマスターベーションの手動きしながら最終的に性器露出したとして逮捕されるモリソンは、軽犯罪および重犯容疑起訴され軽犯罪容疑での裁判は引き続いた判決前にモリソン語った。「僕はマイアミ事件での裁判でおよそ1年半多く時間浪費した。しかしそれは価値のある経験だったと思う。なぜなら裁判前僕はアメリカ司法制度に対して、非常に非現実的な学生のような態度取っていたからだ。僕の目は少し開いたよ」。なお、モリソンには妻のパトリシア・ケネリーがいた。

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