1940年 - 1950年代
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「フレイトライナー」の記事における「1940年 - 1950年代」の解説
1940年、ジェームスはユタ州、ソルトレイクシティに車両製造会社フリートウェイズ・マニュファクチャリング・カンパニー(Freightways Manufacturing Company)を設立。1942年に社名をフレイトライナー・コーポレーション(Freightliner Corporation)に変更。この年、オールアルミ製のキャブを搭載した業界初の商用車であるモデル600を販売。この車両がヒットしたことで直ぐに北米での主要大型貨物自動車メーカーの一員となっている。その後、第二次世界大戦の開戦により、アルミニウムと人員不足から船舶と航空機部品を製造する軍需産業に転換させられている。 1947年ポートランドの新工場においてトラックの製造を再開。1950年、トレーラーを牽引するためのB-42 トラクター(イースタン・フレイトライナー)を発売。35ftのトレーラーを牽引できる大陸横断型トラクターであり、運転席後部に寝台を備えた初めてのトラクターであった。 運送会社の子会社であったため、増産への対応と物流網の構築や強化が容易であり、また同時にコストの削減も達成されている。1951年、オハイオ州クリーブランドの商用車メーカーホワイト・モーター・カンパニー(英語版)とトラック販売に関する契約を締結。ホワイト・モーターは当時、アメリカ最大のトラックメーカーであった内の一社であり、両者共同のブランド「ホワイトフレイトライナー」としてフレイトライナー製の車両販売を行っている。 1953年、長距離輸送向けのトラクター、モデルWF64が発売された。B-42では運手席後方に寝台を配置したが、WF64型では後方の寝台部分を無くし、代わりに運転席上部に配置したことで、従来型よりも更にキャブの全長を短くすることに成功している。ガソリン、ディーゼル、液化プロパンの3種類の燃料設定など革新的な車両であった。 1954年、4輪駆動トラクター、マウンテニア(Mountaineer)の販売を開始。 1958年にはキャブが前方へ90度傾く機構(キャブチルト)を導入したことでエンジンの整備性が向上している。 この他、顧客のニーズに合わせ製造するフレイトライナーの手法がユーザー間で広まったことで会社は急成長しており、年間生産台数が1950年の116台から1960年は931台に、1970年は6,206台へと急拡大している。
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1940年 - 1950年代
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「日本のモータースポーツ」の記事における「1940年 - 1950年代」の解説
太平洋戦争により自動車を含む日本の産業基盤が大きく破壊されたことから、戦後の日本においては自動車よりも部品点数が少なく容易に生産が可能なオートバイによるレースの方が先に復活への動きを始めた。1949年には全日本モーターサイクル選手権大会開催を主な目的に日本小型自動車競走会が発足し、同年11月には多摩川スピードウェイで全日本モーターサイクル選手権大会を開催している。これが契機となり、翌1950年には小型自動車競走法が成立、同年10月に船橋オートレース場で初のオートレースが開催された。 さらに1953年には名古屋市を中心とした中京地区の公道を舞台とした「名古屋TTレース」や、富士山を舞台にした「富士登山軽オートバイ競走大会」が開催されたほか(同大会はその後4年間に渡り開催された)、1955年には群馬県の浅間山山麓にて「第1回浅間高原レース」が開催。同レースは日本の主なオートバイメーカーがワークス・チームを組織してレースに参戦した初のレースとなり、以後1959年まで計3回開催され、日本のオートバイメーカーの技術力向上に大きく貢献した。また本田技研工業(ホンダ)が1959年より、当時WGPの一戦でもあったマン島TTレースへの参戦を開始するなど、国外のレースへ参戦する動きも徐々に始まっている。 四輪ではトヨタ自動車が1957年、日産自動車が1958年にそれぞれオーストラリアモービルガストライアルに参戦し、トヨタが初代クラウンで完走でクラス3位、日産も難波靖治がダットサン・210を駆りクラス優勝を遂げた。国内では1959年の「第1回日本アルペンラリー」はじめとするイベントが催されるなど、四輪はラリーの世界から文化を芽生えさせていった。
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