145失点「ブルームフォンテーンの悪夢」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 13:50 UTC 版)
「ラグビー日本代表」の記事における「145失点「ブルームフォンテーンの悪夢」」の解説
1995年の第3回ワールドカップでは全く歯が立たず、1戦目5月27日のウェールズ戦で10-57、2戦目5月31日のアイルランド戦で28-50といずれも完敗。この時点で3大会連続となる予選プール敗退が決定した。 一部の主力選手たちは、ワールドカップ期間中にゴルフに興じたり、明け方までカジノで遊んだり、二日酔いで練習中に嘔吐する者もいた。当時27歳で初参加の今泉清は、スタッフが日本からゴルフ道具を持ってきていたと証言しており、南アフリカの警備担当者から「お前たちはワールドカップに何をしに来たんだ? ゴルフとカジノに来たのか?」と問われ、日本代表の意識の低さを悲しんだ。当時26歳でW杯出場2回目の吉田義人は、「国を代表して戦いに来ているのに、信じられなかった。日本代表として一つになれなかったことが一番悔しかった」と振り返っている。W杯第2回から第4回までの3大会連続で参加した村田亙は、第3回の日本代表について「W杯に臨むという体制も気構えもできていなかった。それが第2回大会の宿澤ジャパンとの大きな違いだ」と語る。 6月4日、先の2試合と同じくブルームフォンテーンのフリーステイト・スタジアムで行われた3戦目では、対戦相手のニュージーランド (オールブラックス)は既に決勝トーナメント進出を決めていたため、控え選手主体のメンバーであった。日本代表もワールドカップの過密日程からか一部の主力選手が出場せず、ニュージーランドは前半だけで12トライ、後半も9トライを挙げるなどして、145-17で圧勝。オールブラックス来日時の第2テストマッチで100失点以上を経験していたため、戦前から日本代表の大敗は予想されていたとはいえ、「ブルームフォンテーンの悪夢 (悲劇・惨劇・国辱とも)」と呼ばれる歴史的な大敗を喫した。この試合によりニュージーランドはプール戦にて225得点、日本は252失点。ラグビーワールドカップ史上、得点差、プール戦最大得点、最大失点は、いまだ破られていない記録である。なお、この試合をもって小藪は監督を退任した。 ワールドカップ1995を開催した頃の南アフリカを舞台とする映画「インビクタス/負けざる者たち」(2009年公開)で、南アフリカ大統領ネルソン・マンデラが、ニュージーランドが日本から145得点した情報に驚くシーンがある。 1996年 小藪の後任には、サントリーの部長だった山本巌が3度目の就任となった。1996年から日本・米国・カナダ・香港の4協会(1998年からはトンガ・フィジー・サモアも参加)で毎年開催することになったパシフィック・リム選手権では、第1回大会で2勝4敗の最下位に終わり、山本は同年限りで退任した。 平尾ジャパンの4年間 1997年、平尾誠二が監督に就任。平尾は就任後、ラグビーの競技人口が減少している背景から、「平尾プロジェクト」なるものを立ち上げた。つまりは、素質はありながらも所属チームが無名であるがゆえに埋もれた逸材と見られている選手や、ラグビー経験がなくとも他のスポーツで優秀な成績を収めている選手を取り込む目的があり、育成した上で将来その中から日本代表選手を発掘するという意味合いがあったのだが、結果的に大した成果は挙げられなかった。また、パシフィック・リム選手権はカナダに32-31に逆転勝利 (1997年5月18日、秩父宮)した以外は全敗し、1勝5敗の最下位に終わった。 1998年、日本代表としては史上初めて外国籍選手のアンドリュー・マコーミックが主将に指名された。第4回ワールドカップのアジア予選の壮行試合となったアルゼンチンに44-29で勝利。シンガポールで行われたW杯アジア予選でも優勝し、4大会連続のW杯出場を決めた。 1999年、パシフィック・リム選手権で初優勝を果たし、ワールドカップに臨んだ。 ワールドカップ1999当時の日本代表には、元オールブラックスのジェイミー・ジョセフ(17年後に日本代表ヘッドコーチ就任)など、ニュージーランド出身の選手が5名登録され、その人数の多さから、イギリスBBCなど海外メディアから「Cherry Blacks(チェリー・ブラックス)」だと報じられた。これに対し平尾監督は「人種や国籍ではなく、共通の目的とビジョンで団結している」とイギリスのガーディアン紙に反論している。 ワールドカップ1999は3戦全敗に終わり、プール敗退となったが、パシフィック・リム選手権での実績を評価して平尾体制を継続していくことを決めた。 2000年のパシフィック・リム選手権では4戦全敗となり最下位。その後のカナダ、アイルランドの各遠征でもテストマッチで大敗を喫した。11月25日、日本協会は平尾の監督辞任を了承した。
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