黒澤降板後の監督人選とは? わかりやすく解説

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黒澤降板後の監督人選

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 08:17 UTC 版)

トラ・トラ・トラ!」の記事における「黒澤降板後の監督人選」の解説

黒澤解任後の20世紀フォックス内部動揺連続だった。20世紀フォックス本社では、黒澤解任が伝わると「後任監督はケンジ・ミゾグチで」と既に故人になっている巨匠指名してくるほど日本映画知らず黒澤解任したのは1968年クリスマスイブだが、元黒澤プロ青柳プロデューサーは、1968年12月26日からは黒澤抜いた形で撮影予定通り進めるつもりでいた。ところが黒澤解任対す日本芸能界反響想像以上大きく20世紀フォックス本社内部では一時日本での製作は断念しよう」という声が支配した時期があったという。しかしプロデューサーエルモらが「日本日本人の手によって撮影するのが最善方法」と主張し最終的にはこれが支持されることになった1969年2月12日製作面の最高責任者であるリチャード・D・ザナック20世紀フォックス副社長来日しエルモ交えてホテル・オークラ中心に会議続けられ1969年2月14日一日早く日本撮影再開する」という結論達した。また元黒澤プロ青柳プロデューサー本作から完全に手を引くことになり、日本での製作面は一切エルモ采配を振ることに決定した。 この決定を受け、日本側の黒澤後任監督人選限られた時間の中で早急に行うこととなったその後製作総指揮ダリル社長と息子のリチャード・ザナック、そしてエルモの3人で日本シーン撮影に関する国際電話会談が行われたがダリル親子当初エルモ日本シーン撮影日本からハワイ移しスタッフ・キャスト(日本側)はすべて現地人間編成し撮影することを提示してきたという。しかしエルモ当初企画意図反するこの案に反対日本シーン撮影後任日本人監督立て日本人スタッフ・キャスト引き続き撮影することを強く主張しダリル親子説得承認された。 まず日本後任監督として20世紀フォックスからオファー受けたのは『人間の條件』等で知られ海外映画祭数々グランプリ輝いていた小林正樹であった断られその後市川崑岡本喜八中村登映画黒部の太陽撮影中の熊井啓などにオファーしたものの「黒澤監督降ろされ事情もはっきりとしないのに引き受けられない」とことごとく断られた。 舛田利雄は「黒澤さんを解任して、自分ところに監督オファーが来るまで、20世紀フォックスが話を持っていったのは、三船敏郎さんと市川崑さん」と述べており、20世紀フォックス黒澤舛田の間に話を持って行った当時文献確認できるのは、三船敏郎市川崑だけである。 黒澤解任後、20世紀フォックス最初に東宝から独立し自身社長とする三船プロダクション立ち上げた三船敏郎に話を持って行った三船1969年1月23日三船プロ製作の『風林火山』の試写会後、帝国ホテルでの記者会見『トラ・トラ・トラ!』問題について正式な説明行った内容は、20世紀フォックス日本代表レオン・フェルダンから1月15日正式に山本五十六役で出演望まれた、これを受ける条件として20世紀フォックス黒澤プロ及び黒澤監督の間のトラブルを完全に解決して欲しい、山本五十六役は三船個人として受ける気持ちはない、製作の全権三船プロ任せるなら引き受けてもよい、と回答した説明。この要求対す20世紀フォックス側から正式な返事はまだないと話した後、三船エキサイトし語気荒く理由はどうであろうと、アメリカの映画会社から日本一流監督一方的に解雇されたことは、日本の映画界が国際的に恥をかいたということ黙っていられない黒澤氏は契約問題については何も知らないと言っているが非常識すぎる。また黒澤プロ重役である青柳島、窪田の三氏が辞表出したということだが、そんなことで責任逃れられるものではない。徹底的に真相追求し日本の全映画人に謝罪をしてもらいたい。また今回作品黒澤監督素人の人を俳優として起用したが、これはわれわれを含む全職業俳優対す挑戦だ。プライドを持つ俳優なら今後黒澤映画に出るべきでない真珠湾攻撃問題いいかげんな解釈のもとにアメリカ側撮られたら困る。日本真の姿世界の人に知ってもらうよう、我々日本人自覚において作るべきだ」などと捲し立てた。一部メディアには「後任三船決定したと書かれた。しかしこの後三船先の二条件以外に「演出黒澤監督にしたい」と加えたため、20世紀フォックス一度解任した黒澤を再び起用することは考えられず、三船起用の線は消えた。また三船発言黒澤批判取られ騒ぎになったため、慌てた三船はすぐに黒澤訪ね誤解解き、「再起第一作を是非。明日からでもOKです」と申し入れ黒澤喜ばせた因みに三船黒澤監督降板前後東宝製作していた戦争大作企画「8・15シリーズ」の第2作『連合艦隊司令長官 山本五十六』丸山誠治監督作品)で山本五十六長官役で主演その後本作『トラ・トラ・トラ!』完成し日本公開されたのと同時期に公開された「8・15シリーズ第4作『激動の昭和史 軍閥』堀川弘通監督作品)でも同じく山本長官を演じている。なお、この作品にも当作で山本長官を演じている山村聡米内光政役で特別出演している。 市川崑は「(1969年2月11日エルモ会ってお互い条件話し合ったが、監督引き受けかどうかまだ決めていない」と話し1969年2月15日、「黒澤さんに対す道義的気持ちスケジュール調整困難」などの理由20世紀フォックス側に辞退伝えた当時文献には市川崑舛田利雄共同演出構想があったことが確認できる黒澤監督降板後、それまで日本シーン撮影参加していたスタッフ後任監督決定するまでの間、撮影スタジオ東映京都撮影所に留まっている者もいたがメインスタッフだった黒澤組スタッフ助監督らは既に芦屋建造されていた戦艦・長門空母赤城原寸大オープンセットスタジオセット準備していた村木与四郎近藤司率い美術スタッフらを除いてほとんど降板した。また、企画段階から参加し音楽担当作曲作業進めていた武満徹降板している。 黒澤意欲的に抜擢した素人俳優たちは黒澤降板後に解雇され源田実中佐役で出演予定だった山崎努はじめとする職業俳優出演者一部降板した。

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