作曲作業
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台本作家としてヴェルディが選んだのはフランチェスコ・マリア・ピアーヴェであった。ピアーヴェはヴェルディと組んで直近では『椿姫』、『リゴレット』などの傑作を生み、最も気心の知れたパートナーであったし、原作の本質を損なわずに台本化する手腕からヴェルディの信頼は篤かった。またピアーヴェはヴェルディよりやや年長ながら温厚な人物であり(「運命の力」作曲当時はピアーヴェが1860年にヴェルディの推薦でフェニーチェ劇場からスカラ座舞台監督に移籍したばかりという事情もあって)、いつも台本作成に細かく干渉してくるヴェルディの作業手法に追随しながら、ヴェルディの音楽的意図に沿った台本を準備できる貴重な適任者といえた。 1861年7月頃から台本執筆に取りかかったピアーヴェは基本的には原作の筋書を忠実に追った台本を作成、問題となるかも知れない最終場面でのアルヴァーロの言動もそのまま採用され、彼は修道院長に「馬鹿野郎」(Imbecille )と言い放ち、例の「人類は皆滅びろ」も叫んで断崖から投身することになった。唯一最大の改作点はカラトラーヴァ侯爵の息子役2人をドン・カルロに一本化したことであって、これは作品上、主役たるアルヴァーロに見劣りしない歌手を2人確保するのは困難だろうと歌手数の節約を図った、上演においての現実的な理由と思われる。この改作もあって、オペラではアルヴァーロとカルロとの最初の決闘は兵士が止めに入って終了する展開になり、アルヴァーロが修道院に入った理由が希薄になる(原作でのアルヴァーロはまずカルロを殺したために修道院に入っており、原作でのアルヴァーロのこの行動の方が比較的納得しやすい)という物語構成上の弱さも指摘される仕上がりとなった。 一方、軍営地のシーン(現行版では第3幕第2場後半)を拡充するために、オーストリア継承戦争を扱っているシラーの戯曲『ヴァレンシュタインの陣営』(Wallensteins Lager )での戦陣描写を借用することとなり、ヴェルディは1861年8月末までにシラーのイタリア語版翻訳者アンドレア・マッフェイ(Andrea Maffei)の承諾も得ている。後にピアーヴェが病に倒れた(後述)ことで、この「運命の力」原典版がヴェルディとピアーヴェの事実上最後の共同作業となった。
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