黄金期のキャリアとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 黄金期のキャリアの意味・解説 

黄金期のキャリア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/30 19:42 UTC 版)

シスター・ロゼッタ・サープ」の記事における「黄金期のキャリア」の解説

1938年10月レコード会社デッカから、ラッキー・ミリンダー楽団伴奏サープは初のレコーディングをした。デッカによる初のゴスペル曲として録音された4曲「ロック・ミー(英語: Rock Me)」「ザッツ・オール(英語版)」「マイ・マン・アンド・アイ(英語: My Man and I)」「ロンサム・ロード(英語版)」は瞬時ヒットとなり、サープ名声確立し商業的に成功した最初のゴスペル・アーティストとなった。「ロック・ミー」はエルビス・プレスリーリトル・リチャードジェリー・リー・ルイスなどロックンロールスター達にも影響与えている。ロックンロールという言葉生み出したとされるアメリカ著名な批評家モーリー・オロデンカーサープの「ロック・ミー」について「ロックンロールで、スピリチュアル歌唱」とレコード評記しており、この時にロックンロールという言葉初めて公式に使われたとする説もある。 1938年10月にはキャブ・キャロウェイとともにNYハーレムにあるコットン・クラブ出演。また同年12月にはカーネギーホール開催されジョン・ハモンド主催の『スピリチュアル・トゥ・スウィング』コンサート出演しさらなる名声獲得したスピリチュアル歌詞大衆音楽的な演奏表現する彼女のスタイル敬虔な教会信者達を驚かせ時に激怒させ批判の的となる。ナイト・クラブブルースジャズミュージシャン、肌もあらわなダンサーとともにゴスペル演奏するのは前代未聞のことであり、一部ゴスペルキリスト教コミュニティから敬遠されるようにもなった。サープ自身本格的なゴスペル演奏望んでいたものの、ミリンダー楽団7年にわたる契約をしていたため、大衆向けの演奏優先された。一方でディキシー・ハミングバーズ(英語版)やジョーダネアーズ(英語版)などの男性ゴスペル・グループとも共演したり、ツアー行っている。 サープ教会信者やゴスペル・コミュニティの怒り買った背景には、元来ゴスペルオルガン演奏のもと歌われるものであり、ギターという楽器俗世的なものとして敵視されていたことなどもあげられる当時ギター技巧男性らしさ象徴とされ、女性ギター演奏をすることに眉をひそめる人々少なくなかったサープアポロ劇場でのギター・バトルをはじめさまざまなステージでまわりの男性ギタリスト圧倒する技巧見せ、たびたび「男のような演奏と皮肉まじりに称賛された。 1944年デッカのハウス・ミュージシャンでありブギウギピアニスト、サミー・プライス(英語版)と録音した「ストレンジ・シングス・ハプニング・エブリデイ(英語版)」では、類を見ないギター・テクニック、ウィット富んだ歌詞ラップ思わせる歌唱法などロックンロール原点となるような演奏披露。このアルバム最初のロックンロール・レコードとする人々もいる。サープ第2次世界大戦中も演奏続け戦意高揚のため国外軍隊配られV-ディスク英語版)にも彼女の楽曲収録された。V-ディスク収録されたゴスペル・アーティストはたったの2名で、サープそのうち一人であった1946年マヘリア・ジャクソンニューヨークで行ったコンサートでマリー・ナイト(英語版)の演奏出会いナイト才能感じ取ったサープ2週間後には彼女をツアー誘い出した。サープナイト数年わたってゴスペル・ツアーを行い、「アップ・アバーブ・マイ・ヘッド(英語版)」「ゴスペル・トレイン」などのヒット曲生み出したサープナイトの間には恋愛関係があるとのゴシップ流されサープ自伝となる『エッセンシャル・バイオグラフィー シャウト・シスター・シャウト!(英語: Shout Sister Shout!)』の著者であり歴史家のガイル・ワルド(英語版)によると、マリー・ナイトとの関係は公然の秘密だったとされ、サープクイアレズビアンまたはバイセクシュアルであったことが指摘されている。 1949年に入ると彼らの人気急速に衰えはじめる。マヘリア・ジャクソンサープに代わって人気を博すようになり、一方でナイトポップ・ミュージックでのソロ活動を望むようになった。この時期ナイト火事より子どもと母親を失うという悲劇見舞われている。同年サープリッチモンド構えた自邸の1周年記念して、現在はアルトリア劇場英語版)として知られる建物コンサート開催。このコンサートバック・ボーカルとして採用したのが後にロゼッテズ(英語: The Rosettes)と改名するトワイライト・シンガーズ(英語: Twilight Singers)である。1951年には25000人もの参列者のもと、彼女のマネージャーだったラッセル・モリソン(英語: Russell Morrison)と結婚した。これは彼女の3度めの結婚となった結婚式ワシントングリフィス・スタジアム行われサープ演奏披露された。 1956年にはゴスペル・グループのハーモナイジング・フォー(英語版)とアルバム『ゴスペル・トレイン(英語版)』を作る1957年には英国トロンボーン奏者クリス・バーバー(英語版)と1ヶ月に及ぶイギリス・ツアー行った1964年には、マディ・ウォーターズオーティス・スパンとともにフォーク・ブルース&ゴスペル・キャラバン・ツアーの一環としてヨーロッパ・ツアー参加。キャラバン・ツアーは、ニューポート・ジャズ・フェスティバル創設者としても知られるジョージ・ウェイン後援を受け、プロデューサーのジョー・ボイド(英語版)によって運営されツアーで、マンチェスターにある廃駅プラットフォーム開催されコンサートではの中、感電の危険をものともせずエレクトリック・ギターをとり、カズン・ジョー(英語版)のピアノ演奏とともにステージにあがり「ディドゥント・イット・レイン(英語版)」を演奏したその時の様子イギリスのグラナダ・テレビ(英語版)によって全国放映され、「あのステージ見てエレクトリック・ギターを手にしたイギリス若者は多い」と後にボブ・ディラン語っている。

※この「黄金期のキャリア」の解説は、「シスター・ロゼッタ・サープ」の解説の一部です。
「黄金期のキャリア」を含む「シスター・ロゼッタ・サープ」の記事については、「シスター・ロゼッタ・サープ」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「黄金期のキャリア」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「黄金期のキャリア」の関連用語

1
4% |||||

黄金期のキャリアのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



黄金期のキャリアのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのシスター・ロゼッタ・サープ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS