黄金期とその終焉
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「サッカーフランス代表」の記事における「黄金期とその終焉」の解説
1998年ワールドカップの優勝後、ジャケのアシスタントのロジェ・ルメールが就任。UEFA欧州選手権2000の予選は苦戦の連続で、最終戦で引分以下なら本大会出場を逃していたが、その敗退が確定していたアイスランドとのホームゲームを一時は2点リードを追いつかれながら71分の決勝ゴールで3-2で勝利し突破を果たした。ベルギーとオランダで行われたUEFA欧州選手権2000本大会に臨む前に日本とハッサン2世杯で戦いPK戦(延長戦は行わず)で辛くも勝利するなど、世界王者でありながら下馬評はそこまで高くなかった。しかしグループリーグ初戦のデンマーク戦で圧倒的な強さをいきなり見せつけ、第2戦ではEURO1996準決勝でPK戦の末に敗れたチェコに雪辱を果たし第3戦を残して早くもグループリーグ突破を決めた。準々決勝ではスペインと対戦し、2-1で勝利。準決勝のポルトガル戦では延長戦でアベル・シャビエルのハンドから得たPKをジダンが決めた。決勝は好敵手イタリア相手に苦しんだが、リードされ迎えた終了間際、シルヴァン・ヴィルトールのゴールで追いつき、延長戦でダビド・トレゼゲのゴールデンゴールで劇的な勝利を飾り、プラティニを擁した1984年大会以来2度目の欧州王者に輝いた。この大会のチームは1998年と比べてティエリ・アンリを筆頭として攻撃陣が成長し、バランスのよいチームに仕上がっていた。またジダンは大会を通じて素晴らしいパフォーマンスを披露しMVPに輝いた。 この欧州選手権の優勝により、フランス代表は黄金期を迎えた。デシャンとブランという大黒柱は代表引退したが、翌2001年3月には日本をスタッド・ドゥ・フランスにて5-0で破った。2001-2002シーズンにアンリがプレミアリーグ、トレゼゲがセリエA、ジブリル・シセがリーグ・アンで得点王に輝くなど98年大会よりも攻撃陣が充実しており、2002 FIFAワールドカップの優勝候補筆頭に挙げられていた。 しかし日韓ワールドカップ本大会直前の韓国との親善試合でジダンが負傷してしまうと、ジダンを欠いた初戦でW杯初出場の格下セネガル戦を0-1で落としてしまう。続くウルグアイ戦ではアンリの退場で数的不利となってしまい、スコアレスドローに終わると、グループステージ突破には2点差以上での勝利が必要十分条件となったデンマーク戦では、ジダンがテーピングを巻いて強行出場。しかしこの試合でも決定機を決められず、ジダンも精彩を欠き0-2で敗れ、1得点も挙げられないまま3戦2敗1分で1次リーグ敗退に終わった。前回優勝チームが1勝及び1得点も挙げられなかったのは史上初であり、1次リーグ敗退も1966年のイングランド大会におけるブラジル以来であった。また優勝経験国が無得点に終わる初のチームであり、2014年現在でもこの事例が唯一である。要因として挙げられるのは極東の気候を考慮して本大会開幕がシーズン終了後間もない5月31日だったこと、選手の固定化、ジダン不在の影響が大きかったことなどがあげられる。さらにはグループリーグ3試合すべてで、シュートがポストやクロスバーに当たる不運な場面があった。 ワールドカップ後、新監督にジャック・サンティニが就任した。UEFA欧州選手権2004予選では8戦全勝で突破を果たし、地元開催のFIFAコンフェデレーションズカップ2003で同大会の連覇を果たした。再び優勝候補、前回王者として臨んだUEFA欧州選手権2004ポルトガル大会では初戦のイングランド戦で終了間際のジダンの2得点によってなんとか勝利を収めるなどしたが、クロアチア戦、スイス戦でも苦戦した。調子の上がらないまま準々決勝でこの大会で優勝したギリシャに敗れ、大番狂わせを演じられてしまった。 大会後ジダンら主力選手が代表引退を表明。すると新監督レイモン・ドメネクの不可解な選手選考をはじめとした一貫性のないチーム作りなどでチームは迷走。2006 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選突破を危ぶまれたが、ジダンやリリアン・テュラム、クロード・マケレレといった選手が代表に復帰すると安定し、本大会出場を決めた。ジダンが大会終了後の現役引退を表明して臨んだドイツワールドカップではグループリーグでスイス、韓国に引き分けるなど苦戦したものの、ジダンを出場停止で欠いたトーゴ戦に2-0で勝利し、何とかグループリーグを突破した。決勝トーナメントではジダンの華道を飾ろうとチームもまとまり、1回戦でスペインに3-1で逆転勝利。準々決勝でこの大会優勝候補筆頭のブラジルを破り、準決勝でも1-0でポルトガルに勝利した。決勝ではPK戦の末にイタリアに敗れたが、結果よりもジダンの退場が世界中の関心事になってしまった。しかし自身最後の大舞台において、大会MVPに選ばれるパフォーマンスでチームを決勝まで導いたことはフランス代表におけるジダンの影響力の大きさと依存度が示されたといえるだろう。黄金世代が最後の輝きを見せたドイツ大会だが、代表選手の平均年齢は30歳で大会最年長であった。大会最大の発見ともいわれたフランク・リベリーの活躍などの明るい材料もあったが、ジダンの抜ける後のチームをどうするかという問題の解決は大会後に委ねられることになった。
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