黄金期の終焉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/31 03:08 UTC 版)
この頃パンアメリカン航空は「世界で最も高い経験値を持つ航空会社(World's Most Experienced Airline)」(日本でのテレビコマーシャルなどでは「経験の香り」と言うコピーでこの言葉を表していた)を標榜し、(民間航空委員会(CAB)に守られた)高い収益と知名度、信頼性を誇り、まさに世界を代表する航空会社として振舞っていた。 しかし1970年代半ばには、自らがローンチ・カスタマーとなったボーイング747の大量導入による供給過多と価格競争による収益性の悪化が重くのしかかってきた(これは日本航空や英国海外航空、ルフトハンザドイツ航空やノースウェスト航空などボーイング747を導入した航空会社も同様であった)上に、1973年にアメリカ軍がベトナム戦争から撤収したことで、価格競争もなく高収益が見込めた軍や政府のチャーター便が大幅に減った。 また1970年代初頭に起きたオイルショックによる燃料の高騰で体力が弱ってきたにも拘らず、労働組合の反対によりパイロットやスチュワーデスの高給をカットできず、高コスト体質のまま太平洋線、大西洋線等の高収益が見込めた国際線の競争が次第に激化していったことで慢性的な赤字経営に陥っていき、破談したもののトランス・ワールド航空との合併の交渉もおこなった。 第二次世界大戦後の民間航空の復興期である1940年代中頃から、航空自由化政策(ディレギュレーション)が施行され、運賃競争が始まる直前の1970年代後半にかけての約30年間がパンアメリカン航空にとっての黄金期で、まさにこの時期が最後の黄金期であった。
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