黄金期の到来
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/09 21:32 UTC 版)
真紅の「P2」は大成功を収めたが、1925年、初の世界タイトルに輝いたまさにその年を以て、表向きはアスカーリの事故死を理由に、実際は政治的理由(ファシストの介入)から、突然グランプリ活動を中止させられてしまう。ヤーノ率いる開発チームは、新型グランプリマシンの開発を諦めざるを得なかったが、代わりに市販スポーツカーの開発に集中した。 こうして生まれた「6C 1500」シリーズは、高性能スポーツカーとしてアマチュアレーサーの注目を集め、各地のレースで大活躍する。さらに1927年に登場した拡大強化版の「6C 1750」は、ワークスチームの手によってタルガ・フローリオやミッレミリアをはじめとした主要レースを席巻し、無敵のスポーツカーとして名声を欲しいままにし、その勝利数は枚挙に暇がない。 1930年(英語版)、アルファロメオはエンツォ・フェラーリと取引を行ない、「P2」を大幅に改造した新型マシンを、創設間もない「スクーデリア・フェラーリ」に託した。このマシンといっしょにスクーデリアに派遣されたスタードライバー、タツィオ・ヌヴォラーリの操縦で、この改造「P2」は再び数多くのレースに勝利し、その素性のよさと基本設計の確かさを見せつけた。 8C 2300はル・マン24時間レースでも1931年、1932年、1933年、1934年と4連勝した。 1931年にはレーシング・スポーツカーとして生まれた「8C 2300」をストリップダウンして作られた久々の新型グランプリマシン、「8C 2300 モンザ」を擁してグランプリに復帰。ヌヴォラーリ、カンパリ、ボルザッキーニ(英語版)といったスタードライバーを揃えて勝ちまくり、アルファロメオは再びグランプリの王者に返り咲いた(その活躍は後の「P3」登場後も続いた)。 ヤーノは「8C 2300 モンザ」のデビューと同じ1931年にアルファ初のモノポスト・グランプリマシンたる「ティーポA(英語版)」を完成させた。これは新設計のシャシーにスポーツカー1750の6気筒エンジンを2基並べて搭載したモンスターだったが、過激な操縦性が仇となってごく短命に終わる。しかしこの経験を活かして1932年にはグランプリマシンの真打ち、「P3」(「ティーポB」)が登場する。「P3」は8気筒DOHC2,654ccエンジンにツイン・スーパーチャージャーを備え、215馬力を発生、最高速は232km/hに達した。 「P3」は圧倒的な強さで出場するレースに悉く勝利し、伝説のグランプリマシンとなった。ここに及んでレーシング・アルファの名声は決定的なものとなったのである。
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