鈴鹿8耐での活躍とは? わかりやすく解説

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鈴鹿8耐での活躍

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/15 07:34 UTC 版)

平忠彦」の記事における「鈴鹿8耐での活躍」の解説

平は国内ロードレース夏の風物詩である鈴鹿8時間耐久レース悲運見舞われ続けホンダワイン・ガードナーと共に当時8耐人気立役者となった。 平は無名プライベーター時代1980年に、チームヨシモトからホンダCB750Eで三原嗣厚とペア組んで鈴鹿8耐初出場果たした結果トップから50周遅れの39位(完走者の中では最下位であったその後ヤマハワークス入り果たし2ストロークレース専用マシンメインとするレース参戦ヤマハ鈴鹿8耐ワークス参戦していなかったこともあり、この時期鈴鹿8耐参戦することはなかった。 1985年ヤマハ本格的な4ストローク4気筒750cc市販バイクであるFZ750発表し、そのプロモーション一環として市販車改造したTT-F1クラスマシン行われる鈴鹿8耐へ、純ワークス体制による参戦決定した。ヤマハワークスのエースライダーである平のパートナーには、ロードレース世界選手権500ccクラス3年連続世界チャンピオン輝いたのちレースから引退していたケニー・ロバーツ招聘された。FZ750レース用に改造したFZR750は、平をCMモデル起用した資生堂TECH21」のシンボルカラーである淡い紫色塗られた。 ロバーツと平のペア優勝候補とされ、予選ではロバーツポールポジション獲得した決勝レースではスタートこそ出遅れたものの、レース半ばには全てのマシン周回遅れにする圧倒的な速さ首位独走したが、レース終了まで30分を残した平のライディング中、FZR750エンジンが突然停止。グランドスタンド前のピットウォールマシン停めてリタイアした。 翌1986年ヤマハベース車の変更FZ750から市販FZR750へ)に伴いマシン名をYZF750と改称。平はフランス人GPライダークリスチャン・サロンペアを組むが、互い通常使用するシフトパターン違い(平は逆チェンジサロンは正チェンジ使用していたため、ライダー交替の度にシフトパターン変更した)やライディングスタイル違い起因するポジション相違苦しみ強さ発揮しきれないまま、再びマシントラブルでリタイア終わった1987年、平は8耐直前フランスGP大怪我負い8耐出走断念TECH21チーム監督として8耐参戦したが、皮肉にも平が走らなかったこの年ケビン・マギーと平の代役として参戦したマーチン・ウィマーペアが快走し、トップヨシムラ高吉克郎)が残り5分で転倒するというアクシデントもあって、TECH21チーム劇的な逆転優勝飾った。この勝利ヤマハ鈴鹿8耐での初勝利でもあった。 1988年当時無名近かったマイケル・ドゥーハンペアを組むが、平のライディング3位走行中、レース終了10前にエンジントラブル3度目リタイアこの年、ヤマハワークスは3台出走して1台が優勝、もう1台も上位入賞果たしており、平のマシンだけがリタイアとなってしまった。 1989年ロバーツ秘蔵っ子であった新進気鋭アメリカ人GPライダージョン・コシンスキーとペアを組むが、5時間過ぎにまたしてもマシントラブルで4度目リタイア終わった自身出走した過去4回は、全てマシントラブルによるリタイア。この時期レース参戦よりもマシン開発業務主体となっていた平にとって、鈴鹿8耐実戦参戦する数少ない機会であり、鈴鹿8耐制覇はそんな平に残され悲願となっていた。 1990年ヤマハ8耐での平のパートナーとして、シーズン序盤怪我によりWGP500ccクラスチャンピオン獲得望み絶たれヤマハのエースライダー、エディ・ローソン起用した最強助っ人得たこの年が、平にとって念願8耐制覇成し遂げる大きなチャンスだった。ローソンはグランプリシーズンのハードスケジュール負傷押して参戦にもかかわらず全力走り後続との差を広げ、平も見事な走りでそれに応えた。そしてワークス参戦開始から6年目にして、平は悲願8耐優勝果たし、この優勝最後にワークスライダーとしての8耐参戦終えたレース終了後、平の優勝待ち焦がれていた鈴鹿サーキット埋め尽くすレースファンから発生したコールの大合唱は、しばらく鳴り止む事がなかった。 5年後1995年、すでに現役引退していた平は8耐限定復帰。自らが主宰するタイラレーシングからプライベーターとしてTRX850エントリー、ペアライダーには2輪ジャーナリスト根本健迎えたこの年マシン熟成不足と2気筒エンジン馬力不足に終始泣かされ予選では決勝進出ライン60位までに入れず主催者推薦枠出走した決勝でもトラブル見舞われ最後まで走り切ったものの、規定周回数不足で完走扱いとはならなかった。 翌1996年マールボロサポートを受け、ペアライダーに丁度10年前にもペア組んだGPライダークリスチャン・サロン迎えて予選自力突破し決勝でも安定した走り披露して完走果たした2008年鈴鹿8耐にはYAMAHA RACINGより、中須賀克行佐藤裕ペアスーパーバイザーとして8耐現場復帰若手ペア支え、5位入賞貢献した

※この「鈴鹿8耐での活躍」の解説は、「平忠彦」の解説の一部です。
「鈴鹿8耐での活躍」を含む「平忠彦」の記事については、「平忠彦」の概要を参照ください。

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