輸入後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 04:48 UTC 版)
吉田善哉に購入されたサンデーサイレンスは1990年の10月末に日本へ輸送され、翌1991年から社台スタリオンステーションで種牡馬生活を開始した。種牡馬入りに際して総額25億円(4150万円×60株)のシンジケートが組まれ、シンジケートも満口となった。しかし、当初サンデーサイレンスの評価はさほど高くなかったうえに種付料が1100万円と高額であったため、期待されていたほどの交配申し込みはなく、もっとも多く交配したのは吉田善哉が経営する社台ファーム千歳(現在の社台ファーム)に繋養されていた繁殖牝馬であり、さらに翌年誕生した馬に対する同牧場の関係者の評価は高くなかった。しかし、1994年6月にデビューした初年度産駒は、社台ファームの関係者にとっても予想を上回る活躍を見せ、約半年の間に30勝(重賞4勝)を挙げた。 サンデーサイレンスはその後も活躍馬を次々と輩出し、初年度産駒がデビューした翌年の1995年にリーディングサイアーを獲得。2世代の産駒だけでリーディングサイアーを獲得というのは中央競馬史上初の記録である。以後2007年まで、13年連続でリーディングサイアーに君臨した。同じく1995年に、種牡馬としての中央競馬獲得賞金記録を更新。その後もサンデーサイレンスは、中央競馬における種牡馬に関する記録を次々と更新(詳細については#種牡馬成績・記録を参照)し、輩出した12世代のすべてからGI級競走優勝馬が登場し、産駒は日本の中央競馬の24あるGI級競走のうち、20で勝利を収めた。2003年にスティルインラブが牝馬三冠、2005年にディープインパクトが無敗での牡馬三冠を達成したが、三冠馬を二頭、それも牡牝双方で輩出した種牡馬はサンデーサイレンスが初めてである。 種付け料は初年度は1100万円でスタートし、3年後は800万円まで下がったものの、初年度産駒の活躍以降は高騰を続け、2500万円(不受胎8割返金条件付き)にまで上がった。種牡馬として導入された当初は、ノーザンテースト系をはじめアウトブリードできる優秀な配合相手を選べたことが大きな強みになった。種付け頭数も生産者の要望に応える形で年を追うごとに増加し、2001年は自身最多となる224頭の繁殖牝馬と交配された。種牡馬時代の厩務員を務めた佐古田直樹によるとサンデーサイレンスは性欲が強く、前述の通り2001年に224頭の繁殖牝馬と交配したにも関わらず種付けを嫌がる様子を見せなかった。佐古田はサンデーサイレンスを「まるで種付けマシーンのよう」と形容している。 それまで日本の競走馬生産者の間には年間100頭を超えて種付けをさせることは種牡馬を酷使しているという認識があったが、サンデーサイレンスの種付け頭数が100頭、200頭を超えるのに伴いほかの種牡馬も200頭を超える種付けを行うことが珍しくなくなった。ブリーダーズ・スタリオン・ステーションの秋山達也によると、このような種付け頭数の増加は有力種牡馬に交配の申し込みが殺到する現象を生み、成績が優れない種牡馬が以前よりも早く見切られるようになった。また日高町のある生産者によると、他の生産者がサンデーサイレンスの血を求めたことでその血が馬産地に飛躍的に浸透していったが、これが結果として日本馬のレベルを格段に向上させたといい、ただ海外の血を持つ輸入繁殖牝馬というだけでは勝ち馬を送り出すことは難しくなり、その分輸入される繁殖牝馬はより選抜されたことでその質が向上したという。 社台グループは種付けシーズンになると、社台ファームやほかの牧場を訪れるファンの為に様々な馬の写真やイラストを入れたグッズを販売しているが、その中でも最も人気があるのがサンデーサイレンスのグッズであったとされ、ラインナップは帽子、シャツ、ジャケット、リストバンド、ソックスなど様々であったが、このような被服もののデザインは、黒地一色にサンデーサイレンスの額から鼻筋にかけて走っている流星の形が白く染め抜いてあるのみのもので統一されていた。レイ・ポーリックは「サンデーサイレンスの白い流星のマークは、日本の競馬ファンにとってはナイキの流線型のマークと同じくらい、お馴染みの形になっているのである」と評している。 1998年に始まったセレクトセールでは毎回産駒が高額で落札された。晩年には種付け料と産駒の購買価格、獲得賞金、種牡馬シンジケートの額を合計するとサンデーサイレンスが1年間に動かす金額は100億円を超え、年間150頭の繁殖牝馬に5年間種付けを行った場合、産駒の獲得賞金と種付け料を合計して1500億円の経済効果があるといわれた。 産駒は日本国外のレースでも活躍を見せ、日本調教馬は日本国外でG1を3勝した。 さらにオーストラリア生まれのサンデージョイ (Sunday Joy) がG1のオーストラリアンオークスを優勝するなど、日本国外生産馬および日本国外調教馬からも複数の重賞優勝馬を輩出した。日本国外で活躍する産駒が出現した影響から、日本国外の有力馬主がセレクトセールでサンデーサイレンス産駒を購買し、さらに繁殖牝馬を日本へ移送して交配させるようになった。1998年にはヨーロッパに生産拠点を置くドバイのシェイク・モハメドが何頭かの繁殖牝馬を日本に送り込んでサンデーサイレンスと種付けさせ、翌年誕生した産駒の内の一頭のサイレントオナーがイギリスのG2・チェリーヒントンステークスを優勝した。2001年に行われた第4回セールでは、ロッタレースの2001を巡ってゴドルフィンとクールモアスタッドの代理人が激しい競り合いを演じた(ゴドルフィンが1億9000万円で落札)。 年度別の種付け頭数および誕生産駒数 年度1991199219931994199519961997199819992000200120022003種付け頭数 77 84 99 118 142 183 171 185 199 197 223 159 - 誕生産駒数 - 67 67 74 97 129 157 157 149 150 180 191 108
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