野国総官(のぐにつがん)
生没年不詳。1605年、中国福建省(びん)より琉球へ初めて鉢植のカンショを持ち帰り伝えた。北谷間切(ちやたんまぎり)野国村(現在の沖縄県中頭(なかがみ)郡嘉手納(かでな)町野国)の生まれ。総官とは、琉球から中国に派遣された進貢船で航海の安全を司る道教の神天妃(てんび)を祀(まつ)り、水夫を監督する職名である。カンショは救荒作物として輸入後10数年のうちに国中に広まり、伊波普猷(いはふゆう)の『南島稲作行事について』によればそのころから「田を倒す(たーとーしゅん)」すなわち、水田をつぶして畑にかえることを意味する語が盛んに用いられるようになったという。1700年、野国川下流河岸に石壇と石厨子(ずし)をつくり、野国の遺骸を安置した。那覇市奥武山(おうのやま)の世持神社、嘉手納町の野国神社に農業の恩人として祀られている。
野国總官
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