石厨子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/06/18 07:47 UTC 版)
閃緑岩 中国福建省産の閃緑岩を使用した石厨子で、第二尚氏王統第3代尚真王の時代に集中する。完成形は浦添ようどれ4基、玉陵4基、伊是名玉陵2基、小禄墓1基がある。天山陵(尚巴志墓)にも石厨子の基壇(台座)の部分だけ残存している。本体には法師像、蓮華、動物等が高度な技法で彫刻され、宝珠を頂き屋根瓦を彫り込んだ寄棟や入母屋の屋根が付く。 石灰岩 玉陵にある尚真王・第4代尚清王の石厨子が石灰岩製で、その後の第5代尚元王、第6代尚永王、第8代尚豊王、第9代尚賢王、第10代尚質王、第11代尚貞王、第12代尚益王までの約200年間にわたる歴代国王とその妃(尚益王妃を除く)の石厨子もすべて石灰岩製である(第7代尚寧王の厨子甕は浦添ようどれ)。 屋根は入母屋で、本体はごく一部を除いて彫刻を欠き、立派な彫刻を刻んだ尚円王の閃緑岩製石厨子と比べると、全体に簡素な造りで見劣りする。その代わり、尚元と、尚豊から尚益までの各国王の石厨子には、地蔵像や瑞雲等の彩色画が描かれている。 凝灰岩 鹿児島から輸入されたとみられる凝灰岩製の石厨子で、数は多くない。1609年の薩摩侵攻以降のものと推定されている。1800年代以降は確認されていない。 サンゴ石灰岩 一般には海石とも軽石とも言われるが、その名の通り乾燥すると軽い。この石は中城村、北中城村等、沖縄本島中部の東海岸地域で多く採取されることから、サンゴ石灰岩製の石厨子もこの地域に多く見られる。元来は支配者層の石厨子に見られるが、のちに庶民層にも普及した。17世紀製のものは入母屋、単層屋根で装飾も少なく簡素であるが、18世紀半ば以降のものは屋根が重層になり、しゃちほこが付くものが増えてくる。20世紀前半まで作られた。
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