御殿型
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/06/18 07:47 UTC 版)
赤焼御殿型厨子甕 家型をした陶製厨子甕を御殿(うどぅん)型と呼ぶが、赤焼御殿型厨子甕は御殿型の最初に出現するタイプである。時期は18世紀前半からで、それ以前の石厨子をそのまま陶製にしたような形をしている。蓋は屋根の形をしていて初期のものは入母屋で、胴部は前面に2体の法師像が張り付けられている。屋根には瓦は刻まれておらず、しゃちほこも小さめで形姿も稚拙である。 蓋が寄棟の形をしたタイプは乾隆年間の1770年代に集中し、瓦も彫り込まれしゃちほこの下には獅子頭の鬼瓦が付き、胴部には法師像が2ないし4体張り付けられている。正面中央には入口をかたどった穴が穿たれている。全面に石灰塗装を施し、その上から蓮華や幾何学紋様を朱や墨で描いている。 荒焼御殿型厨子甕 赤焼御殿型の次に登場するタイプである。全面にマンガンを掛け黒っぽく焼締めしている。屋根のしゃちほこには鱗をつけ、胴部には法師像や蓮華を張り付けるなど、前代より形の整った、より手の込んだ仕上がりとなっている。屋根は二層になったものが多く、瓦を描き、入母屋もしくは切妻の変形と思われる形をしている。時期は19世紀前半から中頃に集中している。 上焼本御殿型厨子甕 釉薬を掛けたタイプである。化粧掛けの上に、飴釉(飴色)、緑釉(緑色)、呉須(コバルト色)を用いた色彩豊かなものが多い。屋根は寄棟や重層になった入母屋の変形で、しゃちほこを乗せ、獅子や龍を屋根の上に配している。胴部には蓮華や五弁花を張り付ける。 玉陵にある尚敬王以降の歴代国王の厨子甕はこのタイプで、屋根は尚敬王が入母屋、それ以降は寄棟でいずれも単層である。しゃちほこは大型で瓦は丹念に彫り込まれている。全体に飴釉を掛け、胴部には蓮華を張り付け、正面中央に国王名を金箔押している。このタイプの厨子甕は厨子甕中の白眉である。 上焼ツノ型厨子甕 本御殿型より少し遅れて登場する。道光12年(1832年)の銘のものが古く、明治8、9年頃から急に多くなり、昭和14、15年まで作られた。このタイプは俗に「ソーベー」と呼ばれた。ソーベーとは商売用に作ったものの意で、転じて安っぽいもののことをいう。白化粧掛けの上に、コバルトや飴釉、緑釉などで着色し、見た目には色彩豊かで美しい。 蓋は重層屋根の形をしていて高さは極端に高くなり、屋根の各部には無釉でツノ状の突起がある。ツノは3本1組のものが多く、十数組ある。窯内でこのツノの上に他の皿や碗を乗せて、限られたスペースを最大限に活用してたくさんの作品を焼くためのものである。これによって厨子甕のコストが安くなる。 コバルト掛け厨子甕 西洋コバルトを全面に掛けたもので、鮮やかな青色をしている。これに一部飴釉を掛けて二色に彩色しているものもある。時期は西洋コバルトが大量に日本に輸入されるようになった明治以降で、明治34、5年から戦後まで作られた。特に大正期に多い。形はツノ型に似ているが、ツノはなくこちらのほうが高価である。しゃちほこ、獅子、龍頭等の張り付けも多く装飾豊かである。
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