赤塚不二夫
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赤塚不二夫はつげ義春の仲介で曙出版と契約を交わし、1956年(昭和31年)に描き下ろしの単行本『嵐をこえて』でデビューしている。赤塚作品のブーム到来と共に赤塚とフジオプロ作家の作品のほぼすべてをアケボノコミックスとして刊行した。また曙出版は代表作である『おそ松くん』『天才バカボン』の単行本を初めて完全な形で刊行した赤塚にとっても重要な出版社である。 嵐をこえて (1956年※貸本) - デビュー作。2006年に小学館クリエイティブによって復刊 嵐の波止場(1956年※貸本) - 2006年に小学館クリエイティブによって復刊 湖上の閃光 (1956年※貸本) 心の花園 (1957年※貸本) 消えた少女 (1957年※貸本) おそ松くん全集(1968年、全31巻 別巻2巻) - 以降、赤塚不二夫 フジオプロ名義 しびれのスカタン(1968年、全3巻) - 原作 赤塚不二夫 絵 長谷邦夫 もーれつア太郎(1969年、全12巻) 天才バカボン(1971年、全31巻、別巻3巻) 赤塚不二夫全集ナマちゃん1(1968年) ナマちゃん2(1968年) おハナちゃん(1968年) おた助くん1(1969年) おた助くん2(1969年) おた助くん3(1969年) おた助くん4(1969年) まかせて長太(1969年) そんごくん1(1969年) そんごくん2(1969年) おた助くん5(1969年) おた助くん6(1969年) 九平とねえちゃん(1969年) キビママちゃん(1969年) いじわる一家 (1970年) ジャジャ子ちゃん(1970年) まかせて長太2(1970年) へんな子ちゃん(1970年) ミータンとおはよう(1970年) モジャモジャおじちゃん(1970年) 男の中に女がひとり 女の中に男がひとり(1970年) 新版世界名作まんが全集 ハッピィちゃん(1970年) まつげちゃん1(1970年) まつげちゃん2(1970年) スリラー教授 いじわる教授(1971年) われら8プロ(1971年) おれはゲバ鉄!1(1971年) おれはゲバ鉄!2(1971年) 死神デースⅠ(1971年) 死神デースII(1972年) ぶっかれ*ダン(1972年、全3巻) レッツラゴン全12巻(1973年) 狂犬トロッキー(1973年) - 斎藤あきらとの共著 大バカ探偵はくち小五郎(1974年、全3巻) ひみつのアッコちゃん(1974年、全5巻) 鬼警部(1974年)滝沢解との共著 少年フライデー(1975年、全2巻) オッチャン(1975年、全5巻) 幕末珍犬組(1976年) ギャグの王様(1976年、上下巻) ニャンニャンニャンダ(1976年、全2巻) 風のカラッペ(1976年、全4巻) ぼくはケムゴロ(1976年) ギャグゲリラ(1977年、全4巻) 曙文庫 天才バカボンのおやじ(1976年、全3巻) Oh!サルばか(1976年) モジャモジャおじちゃん(1976年) ミスターイヤミ(1976年) くそババア!!(1976年) - 原作:滝沢解 名人(1976年) ジャジャ子ちゃん(1976年) ヒッピーちゃん(1976年) いじわる一家(1976年) まかせて長太 第1巻(1976年) ひみつのアッコちゃん 第1巻 (1998年)
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赤塚不二夫
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赤塚不二夫(あかつかふじお)
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「まいっちんぐマンガ道」の記事における「赤塚不二夫(あかつかふじお)」の解説
『おそ松くん』で大ヒットを飛ばした漫画家。『シェーン』が好きで藤子スタジオにテレビを見に来た。
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赤塚不二夫
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『ギャグゲリラ』(1972年 - 1982年、週刊文春連載)における台詞の手書き文字は、初回から最終回までほぼ全て北見が書いたものである。
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赤塚不二夫
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「これでいいのだ!!映画★赤塚不二夫」の記事における「赤塚不二夫」の解説
主人公。
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赤塚不二夫
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「あだち勉物語 〜あだち充を漫画家にした男〜」の記事における「赤塚不二夫」の解説
漫画家。初登場時にはすでに売れっ子であり、勉ともども周囲を(時には勉をも)振り回す。
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赤塚不二夫
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赤塚不二夫も手塚治虫の漫画「新寶島」「ロストワールド」に出会ったことで、漫画家になることを決意した。彼が18歳の時は長谷邦夫、石ノ森章太郎と一緒に『墨汁一滴』を描く仲間として手塚の家を訪問した。その時、手塚は締め切りに追われ忙しいにもかかわらず赤塚達の似顔絵を描いたり、ピアノを披露したりして彼らは感銘を受ける。赤塚が新人漫画家としてデビューした頃、手塚は「赤塚クン。りっぱな漫画家になるには一流の映画を観なさい、一流の小説を読みなさい、そして一流の音楽を聞きなさい」と助言した。手塚の言葉に従い、赤塚はレコード店に行き、店員に「一流の音楽が聞きたいんです。一流のレコードをください」と言うが、店員は何を渡したらいいのか分からず困ったという。その後、赤塚も手塚が住んでいたトキワ莊で暮らした。手塚はトキワ莊のメンバーに同様に「マンガからマンガを勉強するんじゃないよ。」「一流の芝居を見なさい、一流の本を読みなさい」などと言っており、赤塚は「だから僕たち(トキワ莊メンバー)はあの頃、ほとんど酒なんて飲まなかった。そのかわり、映画を見に行こう、音楽を聴こう、ジャズのコンサートに行こう、小説を読もう。手塚先生がそうしろって言ったから。」「その時はわからなかった。それで後になってからその意味がわかってくる。手塚先生のおっしゃってたことは、やっぱりすごく大きいのだ。いい音楽を聴きなさい。いい映画を見なさい。いい芝居をみなさい。本当に大事な教えだったんだと今にして改めて思うのだ」と語っている。手塚は赤塚をたびたび自身の漫画に登場させている。それと同時に手塚は赤塚のギャグである「シェー」など気に入っていたのか「W3」「火の鳥」など複数の作品に使っている。手塚の「ブラック・ジャック」の『アヴィナの島』の回では赤塚の「天才バカボン」のパパが登場する。
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赤塚不二夫
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 07:24 UTC 版)
赤塚とは石ノ森章太郎が主宰した「東日本漫画研究会」を通じて知り合った。1962年、赤塚が『週刊少年サンデー』で「おそ松くん」を始めるにあたり、彼を手助けすべく共同執筆者となった。この漫画を特徴付けたイヤミ、デカパン、ハタ坊などのキャラクターは、高井が赤塚の「口伝て」をもとにデザインしたものである。
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