ひしかわ‐もろのぶ〔ひしかは‐〕【菱川師宣】
菱川 師宣 (ひしかわ もろのぶ)
1618?〜1694 (??年〜元禄7年) |
【浮世絵師】 絵本の挿絵を独自の画法で、浮世絵として独立させた。 |
浮世絵師。安房国出身。土佐派・長谷川派・漢画などを独学、独自の画風を確立した。江戸で大衆文化が発達し、吉原などの風俗を描く絵本や版画が人気となった。その挿絵に画号を最初に銘記したのが師宣である。やがて挿画を一枚の摺り画として独立させ、後に浮世絵と呼ばれるジャンルを作り上げた。絵を主体にした版画が多数だが『見返り美人図』など、肉筆画も多く残す。 |
年(和暦) | ||
●1659年 (万治2年) | ■江戸城本丸造営竣工 | |
●1663年 (寛文3年) | ■武家諸法度改定 | |
●1681年 (天和元年) | ■護国寺建立 | |
●1682年 (天和2年) | ■江戸大火(八百屋お七の火事) | |
●1687年 (貞享4年) | ■生類憐みの令 |
菱川師宣
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/12 08:32 UTC 版)
菱川 師宣(ひしかわ もろのぶ、元和4年〈1618年〉? - 元禄7年6月4日〈1694年7月25日〉)は、江戸時代の画家、菱川派の祖。生年は寛永7年から8年(1630年 - 1631年)ともいわれる[1]。享年64-65あるいは77。浮世絵の確立者であり、しばしば「浮世絵の祖」と称される。
- ^ 吉田漱『浮世絵の基礎知識』110頁には寛永8年生まれとあり、稲垣進一編『図説浮世絵入門』16ページには寛永7年?生まれとある。
- ^ ほうはくし、または、ぬいはくし。「縫箔」は模様表出に用いられる技法。「縫」は刺繍を、「箔」は摺箔を意味する。
- ^ 人が多く暮らす場所。町。
- ^ 書画を描くための地の素材として絹を用いているもの。そのうちの、生糸(きいと)で平織りされている通常のものを言う。上質で光沢のあるものは「絖本(こうほん)」と言う。
- ^ 「着色」とも。「著」と「着」は本来同字。
- ^ “見返り美人図(みかえりびじんず)”. 東京国立博物館. 2020年11月28日閲覧。
- ^ 重要文化財 歌舞伎図屏風 e国宝
- ^ MIHO MUSEUM編集・発行 『ニューヨーカーが魅せられた美の世界 ジョン・C・ウェーバー・コレクション』 2015年9月15日、pp.178-189、ISBN 978-4-903642-20-8。。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av aw ax ay az ba bb bc 浅野秀剛『菱川師宣と浮世絵の黎明』東京大学出版会、2008年11月28日、108-116頁。ISBN 978-4-13-080210-9。OL 23220764M。, Wikidata Q122962116
- ^ 画像のものは着彩されていない。
菱川 師宣と同じ種類の言葉
- 菱川 師宣のページへのリンク