苛烈な異端弾圧とは? わかりやすく解説

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苛烈な異端弾圧

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/16 08:45 UTC 版)

パウルス4世 (ローマ教皇)」の記事における「苛烈な異端弾圧」の解説

カラファ一族追放後パウルス4世それまで行い反省して自己批判すると改革邁進したが、方法異端審問重視する恐怖政治だった。教皇強烈な反ユダヤ主義者で、彼にとってユダヤ人は神から見捨てられ存在であり、キリスト者の愛を受けるに値しない民族であった1555年には回勅『クム・ニムス・アブスルドゥム』によってローマに住むユダヤ人ゲットー追い込んだユダヤ人の生活は制限され夜間外出禁止になったゲットー建設以後教皇たちにも受け継がれイタリアの諸都市ユダヤ人差別を受けることになった19世紀になってピウス9世保守的な政策のため、ローマゲットー西欧最後まで残ったゲットーとなった異端審問告解異端摘発社会統制捉え異端告発日常となり、修道院属さない修道士100人以逮捕された。禁書目録制定したのもパウルス4世であり、1558年デジデリウス・エラスムス著書も含む禁書目録承認与えたパウルス4世イエズス会とも軋轢起こしている。初代総長イグナチオ・デ・ロヨラからは異端容赦ない姿勢恐れられていたが(若い頃異端疑われ経験があったため)、教皇スペイン戦争ロヨラ死去した1556年から第2代総長ディエゴ・ライネス選出され1558年まで2年かかったイエズス会規則介入し聖務日課朗唱総長任期終身から3年変更するように言い渡し、ライネスは教皇存命中は命令従ったが、教皇死後口頭命令だったことを理由死後は守る義務が無いとの根拠掲げ、どちらの命令撤回したまた、1558年即位したイングランド女王エリザベス1世に対して非常に冷淡であり、その王位正統性疑義呈していたため外交交渉拒否した異端審問強化し徹底した厳格さ改革取り組み反対する枢機卿たちを投獄までしたため改革乗り気でなかった枢機卿たちの肝を冷やすことになった。特にジョヴァンニ・モローネ枢機卿異端疑いサンタンジェロ城投獄したことや、ユリウス3世によりイングランドへ教皇代理として派遣されていたポール異端疑いをかけて解任したことは失策であり、対抗宗教改革は遠のきイングランドカトリック復帰機会無くなった教皇音楽美術理解のあった2代前のユリウス3世とは対照的で、システィーナ礼拝堂楽長であったジョヴァンニ・ダ・パレストリーナらは、わずかな年金解雇された。また、ミケランジェロ作品システィーナ礼拝堂壁画『最後の審判』裸体多数描かれていることを嫌悪し腰巻付け足させた。 1559年8月18日83歳の高齢死去ローマ市民教皇死んだ途端暴動起こし異端審問所破壊した囚人達を解放したり、教皇銅像破壊した史上最も憎まれ教皇と言われたが、教皇信頼失われていたためこのような事態起こりパウルス4世治世成果が何も無かった最悪時代だった。死後反対派ピウス4世次の教皇選出、カルロ・カラファとパリアーノ公ジョヴァンニ・カラファ(英語版兄弟裁判両名処刑、モローネ枢機卿など前教皇時代罪人釈放禁書目録修正異端審問制限行い、親ハプスブルク家政策を採りスペイン神聖ローマ帝国と関係改善トリエント公会議召集し対抗宗教改革実行するなど、パウルス4世政策の見直し対抗宗教改革推し進めていった。 不評多かったパウルス4世だったが、優秀な人材見出していた。それはドミニコ会士アントニオ・ギスリエーリで、教皇になると引き立てて出世させ異端審問所長官任命したピウス4世死後ギスリエーリはピウス5世選出トリエント公会議決議実行して対抗宗教改革貢献死後列聖された。 日本人初のヨーロッパ留学生としてローマ訪れた鹿児島のベルナルド1555年にこの教皇対面ローマ教皇謁見した最初日本人となった

※この「苛烈な異端弾圧」の解説は、「パウルス4世 (ローマ教皇)」の解説の一部です。
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