美術・造形
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美術・造形は、造形会社「エキスプロダクション」が全面担当した。東映生田スタジオ所長の内田有作が映像美術の重鎮である大映の間野重雄に同社を紹介され、代表取締役の八木正夫は海外作品の仕事が一段落した時期であったことからこの仕事を引き受けた。 準備段階ではエキスプロ役員であった三上陸男を中心に、同社造形チーフの藤崎幸雄と大映の矢野友久らが参加し、三上がサイクロン号のデザインやショッカーアジトのセットと怪人の造形など、藤崎が仮面ライダーの造形、矢野がスナックアミーゴのセットをそれぞれ担当した。立ち上げ作業を終えると三上は『魔神ガロン』への参加などのために現場を離れ、旧知の高橋章に後を託した。高橋は助手として八木功を呼び、以後の美術を担当した。 高橋らが東映生田スタジオに常駐し、セットのデザインや衣装の補修も合わせ、すべてをこなしている。怪人のデザインは初期の蜘蛛男・蝙蝠男・さそり男は石森章太郎によるデザインが用意されたが、さそり男は三上により造形用デザインに直され、第4話のサラセニアン以降のデザインは高橋による。三上が造形を手掛けた初期3体は型抜きで作られたが、映画と同様のこの手法では時間がかかるため、以降はタイツに直付けする方法に変更された。 後に平山によると、MBS側から東映に支払われる制作費は1話につき400万円で、美術予算が足りず、苦肉の策として機械パネルのイメージを予定していたショッカーのアジト内は、エキスプロの高橋章が描くおどろおどろしい模様を描いたものとなった[要出典]。同プロの三上陸男は、「おかげで生物感のある不気味なものになった」とコメントしている。 仮面ライダーの造型 仮面ライダーのマスクは上下二分割形式となっており、粘土原型をFRP樹脂で複製して作られている。粘土原型は藤崎が制作し、三上が仕上げた。 アクション用の「Aタイプ」と、電飾を仕込んだ超アップ撮影用の「Bタイプ」の2種が用意されたが、第1話でAタイプの「クラッシャー」(鼻下から顎へかけての牙状の部分)が破損し、修復跡を残しての撮影となっている。それ以降、補修を繰り返しながらの撮影にはアップ用のはずだったBタイプも駆り出され、常に2種が画面に登場することとなった。2種の明確な違いは、Cアイ(複眼部分)の下の「覗き窓」に付けられた、透明カバーの留めネジの位置である。全98話で使用されたマスクは、すべて同じ型から複製された。FRP製のほか、ラテックスゴムで抜かれた軟らかいアクション用のマスクも使われている。 触角にはラジオアンテナが使われた。付け根は第1話では同じ材質だったが撮影中に折れてしまったので、それ以降は自転車のブレーキ用ワイヤーが使われている。Cアイには、型に流した透明のポリエステル樹脂がまだ軟らかいうちに裏側から角棒を押しつけ、段差パターンをつけた。この手法は東宝映画『モスラ』(1961年、本多猪四郎監督)で怪獣モスラの複眼の表現に使われた技法である。 仮面ライダーの衣裳は、三上の提案によりウルトラマンで用いられているウェットスーツを避け、ライダースーツが選択された。当初、鹿革素材で制作された上下のスーツはアクションで裂けてしまい、第1話の時点ですでに左ひざには補修跡が確認できる。このため、ビニールレザー素材となり、新1号以降はジャージ素材となった。第1話の撮影は開始時点でマスクの制作が間に合わなかったため、マスクを使用しないショッカーの手術室シーンから開始され、2月10日にようやくマスクが完成し、11日の小河内ダムロケから仮面ライダーのアクション撮影が行われた。 当初、緑色だった仮面の基調は、渡邊の「緑色のヒーローなどあるか」との意見で黒に近い暗緑色となったが、暗いシーンでは判別できなくなるため、パール粉を加えた塗装が施された。このAとBの2種は、色を塗り替えてそのまま2号ライダーとして使われている。新1号編に入ると緑色が鮮やかになっていくが、これは塗装に使ったカラースプレーが季節ごとの乾燥度や日照条件で発色が異なるためでもあった。また、ロケ地やキャラショーなどのイベント先での補修を想定し、アサヒペンのカラースプレーなど、全国どこでも誰でも入手して塗れる色を優先したという配慮もある。
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美術・造形
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「帰ってきたウルトラマン」の記事における「美術・造形」の解説
特撮美術は『ウルトラセブン』に引き続き池谷仙克が担当したが、1971年に公開された実相寺昭雄の劇場映画『曼荼羅』に参加することとなったため、第12話で降板した。後年のインタビューで池谷は本作品への参加には積極的でなかった旨を語っている。降板後、旧知の特技監督である大木淳が本編を初担当した第32話で大木からの依頼により怪獣キングマイマイのデザインを手掛けた。 オープニングにはクレジットされていないが、着ぐるみ造形は主に開米プロが、一部を高山良策(グドン、ツインテール、ステゴン)、東宝特殊美術部(タッコング、ザザーン、アーストロン)、円谷プロ社内の造形スタッフ(キングザウルス三世)が担当。東宝特美による3体は見た目はしっかりしていたが硬くて動けず、開米プロが改修を行い、そのまま同プロが造形の中心となった。高山は『ウルトラセブン』から引き続いての参加であったが、同時期に『スペクトルマン』も担当していたため3体のみに留まった。 オープニングには未クレジットだが本作品の怪獣(宇宙人)デザインは、特撮班美術の池谷仙克や高橋昭彦のほかに、プロデューサー補の熊谷健(シーゴラス、ベムスターほか)や、米谷佳晃(グロンケン、バリケーン、ヤドカリンほか)、利光貞三(サータン)、末安正博(ゴキネズラ)などが担当。最終話に登場したバット星人は、当時の小学館編集部スタッフによる作とされている。
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