経営戦略の行き詰まり、エコスによる買収へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 14:59 UTC 版)
「与野フードセンター」の記事における「経営戦略の行き詰まり、エコスによる買収へ」の解説
2004年8月期に「フードガーデン」3店舗(春日部大沼・佐知川・戸塚安行)を開業する一方で小型店1店舗(深谷)を閉店するなどの対応を取ったが、競合他社の出店攻勢の影響で既存店売上が上期が7%減で下期が4%減となったため2004年8月期の売上高は約275億円へと落ち込むことになった。 こうした競争激化に対応するため2005年(平成17年)8月期に小型店中心に7店舗(本町・江戸袋・伊奈栄・久喜・鴻巣東・行田・小山)を閉鎖。期末時点で店舗網を24に縮小して埼玉県内に経営資源を集中させ、売上高も前期比11%減の約250億円にまで縮小となった。 こうした事業規模縮小による経営建て直しを進めた為、2005年3月に「フードガーデン日進店」をYバリューからの業態転換や敷地の移動を伴う大型改装による再開業後、2010年(平成22年)2月に「フードガーデン北与野店」(クイーンズ伊勢丹跡地の居抜き出店)を開業するまでの5年間に渡り新規出店は凍結され、2010年2月時点で22店舗へと店舗網を縮小することになった。 その後、2011年(平成23年)3月の東日本大震災直後こそ一時的な特需があったものの、復興期に入ると競合店の進出が相次ぎ、それに対する本部主導での有効な策が打ち出せないまま複数の店舗が営業不振による閉店に追い込まれ、2020年(令和2年)7月には、かつて30以上あった店舗数はその半分以下の14店舗にまで落ち込んだ。 長年に渡り深刻な経営不振に沈み、2019年8月期は8億6500万円の大幅な最終赤字。2014年8月期から売上高は30億円近く減少し、この間、最終損益は赤字続き。店舗閉鎖などに伴うリストラ費用が損益を圧迫した。本業のもうけを示す営業損益も2018年8月期から赤字に転落した。 正野が経営トップだった時代からコンスタントに掲載されていた日本食糧新聞のトップインタビュー記事がこの頃からほとんど無くなった事もあり、非上場企業である為に経営状況などが外部から見えづらいブラックボックス状態が続いていた。 債務超過寸前で辛うじて踏みとどまる中、2019年(令和元年)11月12日、翌年9月末日を目処に発行済株式の全てをエコスが取得し完全子会社化する方針が発表された。 エコス・与野フードともに中小規模のスーパー各社により構成されるボランタリーチェーン「協同組合セルコチェーン(セルコグループ)」に属しており、両社の創業者がセルコ役員を兼任するなど以前よりセルコを通じて強い結び付きがあった。その縁もあり、エコス子会社「マスダ」の社長を兼任した経験のある木村幸治エコス取締役副社長が2018年(平成30年)から兼務で与野フードセンターに代表取締役副社長として派遣され(のちに代表取締役社長に昇格)経営支援を行っていた。2019年8月期に8億円を超える最終赤字を計上したのも、エコスが主導して資産整理や人員圧縮など事業構造改革を集中的に実施した為とみられる。積年のうみを相当程度出し切ったタイミングを捉え、与野フードセンターの子会社化が決定された。 2020年(令和2年)5月には木村がエコス取締役副社長を任期満了により退任し、与野フードセンター代表取締役社長専従となった。 2020年7月14日、エコスと与野フードセンター株主(契約締結時は代表取締役会長井原實が100%所持)との間で株式譲渡契約が締結された。取得株式数は370,374株。取得価額は非公開だが「適切なデューデリジェンス(資産査定)を実施の上、公正妥当と考えられる金額にて取得して」いるとの事。2019年11月の発表では2020年9月末日に最終契約締結の予定だったが、実際にはそれよりも約2ヶ月半早まり、株式譲渡実行日も2020年9月1日に前倒しされた。 2020年上期からのコロナ禍による緊急事態宣言等で社会全体の経済活動が停滞していたにも関わらず、予定より早いペースで子会社化が進んだ事になり、エコス本体がコロナ禍での食品小売業の特需を最大限に活かして体力を増強し強力なイニシアティブを発揮しスピード感を持って買収のプロセスを進めたであろう事が窺える。
※この「経営戦略の行き詰まり、エコスによる買収へ」の解説は、「与野フードセンター」の解説の一部です。
「経営戦略の行き詰まり、エコスによる買収へ」を含む「与野フードセンター」の記事については、「与野フードセンター」の概要を参照ください。
- 経営戦略の行き詰まり、エコスによる買収へのページへのリンク