経営戦略論の誕生
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軍事学における戦略という概念が経営学に導入され、企業の経営戦略が本格的に論じられるようになったのは、1950-60年代に入ってからであった。経営戦略論の黎明期にあたるこの時期の代表的な研究者は、アルフレッド・チャンドラー、 フィリップ・セルズニック(英語: Philip Selznick) 、イゴール・アンゾフ、ピーター・ドラッカーらである。 「組織は戦略に従う」の命題で有名なアルフレッド・チャンドラーは、将来を見据えた長期的な視座の重要性を強調した。すなわち、個々の職能や部署を個別的に考えていくのではなく、戦略という長期的視座の下で職能間・部署間を包括的に調整することが重要であると主張したのである。 セルズニックは、組織とそれをとりまく環境の適合性が重要であるというアイデアを打ち出した。この考え方は後に、SWOT分析に機会と脅威という新たな洞察をもたらすこととなった。 アンゾフは、チャンドラーの研究を基礎に経営戦略を分類した。市場浸透戦略、製品開発戦略、市場開発戦略、水平統合・垂直統合、多角化などの戦略を用いることで、企業は将来の機会と挑戦の為に体系的に備えることができると考えた。1965年に著したCorporate Strategyの中で、彼は「企業の現在地」と「企業のあるべき姿」のギャップを理解し、そのギャップを縮減するように振る舞うべきであるというギャップ分析という、現在でも経営分析手法として用いられるフレームワークを開発した。 ドラッカーは経営に関する数多くの書籍を現在に残しているが、経営戦略論という領域においては特に二つの貢献が重要である。第一の貢献は、「明確な目標の無い組織は、舵の無い舟のようだ」と、目標の重要性を指摘し、目標管理理論を導出した点である。第二の貢献は、現在の我々が言う所の知的財産の重要性を早くから予見していた点である。彼は知識労働者 (knowledge worker) の増加を予測し、知識労働者管理の重要性を指摘した。なぜなら知識労働は非階層的であるため、何らかのタスクはそのタスクに最も精通する人間が臨時のリーダーとなって遂行されるようになるだろうとしている。 Ellen-Earle Chaffee(1985)は、1970年代の経営戦略論(戦略経営)を以下の様に整理した。 戦略経営は、「組織をビジネス環境へと適応させること」が主要なテーマである。 戦略経営は、流動的かつ複雑である。変化は、非構造的かつ非反復的な反応を組織が必要とするような、環境要因の新たな連結を産む。 戦略経営は、方向性を示すことで組織全体に影響を及ぼす。 戦略経営は、戦略形成(内容)と戦略遂行(遂行過程)から構成される。 戦略経営は、計画されるものと、そうでないものから構成される。 戦略経営には、企業全体の戦略や個々のビジネスの戦略など、階層がある。 戦略経営は、概念的思考プロセスと分析的思考プロセスから構成される。
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