紛争に対する批判
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/28 21:13 UTC 版)
紛争に対する批判は、コソボでのジェノサイドを阻止できなかった各方面の指導者たちにも向けられた。アメリカのクリントン大統領は、多くのアルバニア人がセルビア人によって殺害されるのを阻止できなかったことについて批判された。クリントン政権の国防長官であったウィリアム・コーエンは演説のなかで、「コソボでの虐殺に関する恐ろしい報告や、セルビア人による迫害から命を守るためにコソボを逃れるアルバニア人難民の姿は、この戦争がジェノサイドを阻止するための正義の戦争であることを明確にした」と述べた。CBSの『国家の顔』でコーエン国防長官は「現在、100,000人の従軍可能年齢の男性の行方がわかっていない。彼らは殺害されたかもしれない」と述べた。クリントン大統領も同様の見解を引いて、「少なくとも100,000人の行方不明者がいる」と述べた。 後に、ユーゴスラビアの選挙に関してクリントン大統領は「彼らは、ミロシェヴィッチ氏が命じた事実に直面せざるを得なくなるだろう。彼らがミロシェヴィッチ氏を指導者として認めるかどうか、彼らが数万人の人々の殺害を是認するか否か…」と述べた。同じ記者会見でクリントン大統領はさらに、「意図的で、体系的な民族浄化とジェノサイドのための動きを、NATOは食い止めた」とも述べた。クリントン大統領はコソボでの出来事をホロコーストと比べた。CNNは、「ユーゴスラビアでのNATO軍の戦闘への支持を得るために、火曜日の記者会見でクリントン大統領が行った、セルビアのコソボでの民族浄化へを第二次世界大戦でのユダヤ人に対するジェノサイドに類するものとする非難によって、外交による平和的解決への道は一段と難しいものとなった。」と報じた。クリントン政権の国務長官もまた、ユーゴスラビア軍がジェノサイドに加担していると主張した。『ニューヨーク・タイムズ』紙は、「政府は、ユーゴスラビア軍によるジェノサイドの証拠には、大規模な恐ろしい犯罪行為に関するものが含まれている。国務省による言葉は、これまででもっとも強い、ミロシェヴィッチ大統領への批判であった」と報じた。国務省はまた、それまでで最大数のアルバニア人の死者数を挙げた。ニューヨーク・タイムズ紙が報じたところによると、国務省は、アルバニア人の死者および行方不明者の数は500,000人に上るとした。 国際連合の憲章は、国連安全保障理事会での決議を必要とする一部の例外を除いて、他の独立国への軍事侵攻を禁じている。この問題はロシアによって、国連安全保障理事会に持ち込まれた。その決議案では、特に、「このような一方的な武力行使は、国際連合憲章への重大な違反にあたる」とした。中国、ナミビア、ロシアが決議案に賛成、その他の国々は反対し決議案は否決された。 1999年4月29日、ユーゴスラビアはハーグにある国際司法裁判所でNATO加盟諸国(ベルギー、ドイツ、フランス、イギリス、イタリア、カナダ、オランダ、ポルトガル、スペイン、アメリカ)を相手に訴えを起こした。裁判所は、紛争当時、ユーゴスラビアが国連の加盟国ではないために、この訴えについての判断を避けた。 西側諸国では、NATOによる攻撃に反対する意見は主にリベラル右派から起こり、またほとんどの極左主義者も攻撃に反対した。イギリスでは、元外務英連邦大臣のマルコム・リフキンド(Malcolm Rifkind)や、元財務大臣のノーマン・レイモント(Norman Lamont)、ジャーナリストのピーター・ヒッチェンズ(Peter Hitchens)、サイモン・ヘッファー(Simon Heffer)などの有力な右派の人物が紛争に反対した。また、The Morning Star紙によると、左翼の議員トニー・ベン(Tony Benn)、アラン・シンプソン(Alan Simpson)らが紛争に反対していることを報じた。しかし、レーニン主義の党派である緑の英国共産党(Communist Party of Great Britain (Provisional Central Committee))は、NATOによる攻撃をアメリカ帝国主義とみなしたものの、コソボ解放軍には同調し、コソボのセルビアからの完全分離を支持した。 紛争が終わった1999年6月11日、紛争はコソボに破壊と混乱を残し、ユーゴスラビアは将来への不安に直面することとなった。
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