南オセチアへの侵攻
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「ミヘイル・サアカシュヴィリ」の記事における「南オセチアへの侵攻」の解説
詳細は「南オセチア紛争 (2008年)」を参照 2008年8月7日、南オセチア自治州への派兵を行い、同日の記者会見で同地域の大半の制圧と州都・ツヒンヴァリの包囲を宣言した。これに対し同州の独立を後押しするロシアは強く反発し、同州に増援部隊を派遣するとともにトビリシへの空爆を実施し、南オセチア紛争が勃発した。サアカシュヴィリは8月9日に戦争の継続を15日間延長させる大統領令を発令、議会側の承認を同日得た。また、後述のイラク駐留・グルジア軍2000人を近日中に帰国させ、ロシアとの戦闘に備える旨も述べた。8月12日にロシアが軍事作戦を停止すると、これを受けてトビリシの議会前で数千人の支持者を前に演説し、「ロシアは我々をひざまずかせようとしたが出来なかった」と述べ、CIS脱退の意向を表明し、8月14日にこの提案を議会側が承認した。 紛争後、ロシアとの武力衝突を招いたことで多くの犠牲をもたらしたとして、サアカシュヴィリの責任を問う声が強くなった。サアカシュヴィリは2008年10月27日にラド・グルゲニゼ首相を解任し、代わってグリゴル・ムガロブリシビリを首相に任命したが、これは紛争に対する批判をかわすためだとする観測が出ている。同年11月7日には1万人以上の野党支持者による反政府デモが行われ、サアカシュヴィリの辞任と大統領選の早期実施を求めた。南オセチア紛争に関するサアカシュヴィリ自身の発言も変化し、紛争時に行っていた「先に軍事行動を開始したのはロシア側だ」という主張を翻し、同年11月28日にグルジア側の方が先に軍事行動を開始していたことを認めた。同年12月5日には国防相・外相・国家安全保障会議書記を更迭し、自らの責任回避に腐心している。
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