南インドへの遠征
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/08/13 19:49 UTC 版)
「バーラージー・バージー・ラーオ」の記事における「南インドへの遠征」の解説
1753年1月、バーラージー・バージー・ラーオは南インドのカルナータカ地方に遠征し、4月にはマイソール王国の首都シュリーランガパトナを包囲し、5月に帰還した。 1754年3月、再びカルナータカ地方への遠征を開始し、6月に帰還したのち、10月23日に再出発した。 1755年4月には、マラーター王国軍はマイソール王国の首都シュリーランガパトナを包囲した。そのため、マイソール軍はティルチラーパッリの包囲を解かざるを得なかった。 1756年に第三次カーナティック戦争が勃発すると、1757年2月にマラーター王国軍はカルナータカ地方に攻め入った。この遠征で、4月にマイソール王国の首都シュリーランガパトナを包囲し、さらには9月24日に カダパのナワーブであるアブドゥル・マージド・ハーンを敗死させた。 こうして、バーラージー・バージー・ラーオは度重なる南インド遠征により、マラーター同盟の領土はトゥンガバドラー川までに伸長していた。
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