紛争の「アフリカ化」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/10 21:36 UTC 版)
「ギニアビサウ独立戦争」の記事における「紛争の「アフリカ化」」の解説
1960年までに、ギニアに駐留するポルトガル軍は白人司令官に率いられていた。白人の委任兵士、アフリカ混血の海外兵士、現地人が階級で分けられていた。これらの肌の色による差別はスピノラ将軍の「アフリカ化」政策で廃止された。これにより現地人とポルトガル軍の統合が進んだ。2つの特別な反ゲリラ作戦がポルトガル軍によって実施された。1つ目は「アフリカのコマンド部隊」で、司令官も含めて多くが黒人で構成されるコマンド部隊の大隊である。2つ目は「アフリカ特別海兵隊」で、完全に黒人で構成される海兵隊である。アフリカ特別海兵隊は他のポルトガル精鋭部隊と主にギニア河川地域で陸海共同作戦を展開し、ゲリラ軍の壊滅や補給路の破壊を狙った。スピノラ将軍の「アフリカ化」政策によってカルロス・ファビアオ少佐が率いる黒人だけの部隊も誕生した。1970年代前半までに、ポルトガル軍で委任司令官として勤務するギニア人の割合は増え、大佐等の高級士官も誕生した。ギニア人の両親の下に生まれた黒人ポルトガル市民で、道路工学軍曹からアフリカのコマンド部隊司令官になったマルセリノ・ダ・マタが代表的である。
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