第2の哨戒 1944年10月 - 1945年1月
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「レッドフィッシュ (潜水艦)」の記事における「第2の哨戒 1944年10月 - 1945年1月」の解説
10月25日、レッドフィッシュは2回目の哨戒で東シナ海に向かった。途中、補給でサイパン島に寄港し11月3日に出航、哨区に到着した。11月20日、レッドフィッシュは北緯25度15分 東経122度23分 / 北緯25.250度 東経122.383度 / 25.250; 122.383の地点で大型のサンパンを発見し、浮上砲戦で撃沈。2日後の11月22日にも、北緯24度14分 東経122度25分 / 北緯24.233度 東経122.417度 / 24.233; 122.417の地点で20トン程度のサンパンを発見、これも浮上砲戦で撃沈した。11月22日22時37分ごろ、レッドフィッシュは北緯24度25分 東経122度32分 / 北緯24.417度 東経122.533度 / 24.417; 122.533の与那国島西方で基隆から那覇に向かっていたタカ206船団を発見し、バング (USS Bang, SS-385) とともに攻撃。レッドフィッシュが鳳山丸(南日本汽船、2,552トン)を、バングが天草丸(大阪商船、2,345トン)と栄丸(川崎汽船、2,878トン)をそれぞれ撃沈した。その後北上し、12月8日夜、レッドフィッシュは長崎県野母崎沖の女島灯台付近で、SJレーダーで日本艦隊らしき目標を探知した。この艦隊は、フィリピンへ緊急物資輸送を実施し、帰途台湾で合流した戦艦榛名、重巡洋艦利根、駆逐艦3隻とともに佐世保に向かっていた航空母艦隼鷹を中心とする艦隊であった。レッドフィッシュは至近の僚艦シーデビル (USS Seadevil, SS-400) などに艦隊の存在を通報するとともに、自身も艦隊を追跡した。艦隊は高速でジグザグコースを取っておりやや雷撃しにくい体勢が続いたが、翌9日1時33分に絶好の射点につき、隼鷹へ向けて魚雷6本を発射した。1時34分、このうちの1本が隼鷹の右舷のやや後部に命中。命中直後こそ隼鷹は航行可能だったが、程なく爆発が起きて航行不能となった。レッドフィッシュは止めを刺そうとし、旋回して艦尾の発射管から魚雷を4本発射。そのうち1本が右舷艦首部に命中した。隼鷹は右舷へ30度傾いたまま微速航行を続け佐世保に帰投。沈没につながる幸い致命的な被害は食い止められたものの、このときの損傷により、隼鷹は終戦まで戦列に復帰することができなかった。攻撃後、レッドフィッシュは再び南に向かった。 12月19日午後、浮上航行していたレッドフィッシュは宮古島近海で日本機を発見し潜航した。この時、レッドフィッシュにフィリピン方面に向け航行中であった日本の新鋭航空母艦雲龍を含む小艦隊が接近しつつあった。16時27分、レッドフィッシュはその潜望鏡の視界内に雲龍の姿を捉えた。その2分後、雲龍はジグザグコースを取り始めた。これにより、レッドフィッシュは雲龍の右舷側を見るような体勢となった。16時37分、レッドフィッシュは雲龍までの距離が約5,400メートルと遠かったものの雷撃を敢行、魚雷4本を発射した。16時38分、雲龍の右舷艦橋下に魚雷1本が命中。雲龍はたちまち右舷に20度傾き、やがて航行不能となった。レッドフィッシュは第2撃を駆逐艦檜に向けて艦尾から魚雷を4本発射したが、命中しなかった。16時44分、レッドフィッシュは雲龍に止めを刺さんと魚雷を1本のみ発射。魚雷は最初の命中箇所に近いところに命中し、16時50分に火薬庫が爆発を起こし、17時に沈没した。レッドフィッシュは、撃沈直後こそ沈没する雲龍を潜望鏡カメラで撮影する余裕もあったが、その時、檜がレッドフィッシュの潜望鏡を発見。レッドフィッシュはただちに45メートル、次いで70メートルの深度に逃れたが、2度にわたる爆雷攻撃により重大なダメージを受けた。1度目の攻撃では12個の爆雷が投下され、前部発射管室の船殻が歪んだ。2度目の攻撃は9個と少なかったものの、油圧系統を故障させその影響で音響装置を破壊した。水密区画も損傷し、1人の乗組員が突然開いたドアに頭部を激突させ、その衝撃で耳がちぎれ飛んだ。電池も亀裂が走り電気系統もダメになった。檜は最後に3個の爆雷を投下すると去っていき、レッドフィッシュは反撃を辛くもかわした。とはいえ、これ以上哨戒を続けることは困難となり、哨戒は打ち切りとなった。1945年1月2日、レッドフィッシュは64日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。 2月17日、レッドフィッシュは修理のためアメリカ東海岸のポーツマス海軍造船所に向かった。修理完了後7月23日に真珠湾へ帰港、3回目の哨戒へ向けての準備に余念が無かったが、結局終戦までその場にとどまった。
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