第2の哨戒 1943年6月 - 7月とは? わかりやすく解説

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第2の哨戒 1943年6月 - 7月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/28 22:29 UTC 版)

スヌーク (潜水艦)」の記事における「第2の哨戒 1943年6月 - 7月」の解説

6月9日スヌーク2回目の哨戒南西諸島方面向かった6月24日朝、スヌーク北緯2845分 東経12703分 / 北緯28.750度 東経127.050度 / 28.750; 127.050の奄美大島近海で、6隻の輸送船と2隻の護衛艦第38号哨戒艇水雷艇からなる高雄行きの第169船団発見魚雷を4本発射し魚雷特務艦大瀬前部と油タンク命中して大破させた。スヌーク攻撃後一旦は深く潜航し、やがて潜望鏡深度戻って観測すると、大瀬第38号哨戒艇護衛の下ノロノロ航行しているのが見えた。しかし、直後航空機制圧受けて止めは刺せなかった。7月4日0時前、スヌーク北緯2829東経12415分 / 北緯28.483度 東経124.250度 / 28.483; 124.250の地点で、レーダー三池港から馬公向かっていた第172船団とらえたスヌークは第172船団追跡の上、2時30分ごろから六度わたって魚雷発射する。2時30分ごろに発射された計9本の魚雷は、輸送船りばぷうる丸(国際汽船、5,865トン)の左舷船尾3本命中し残り魚雷陸軍輸送船幸喜丸(橋本汽船、5,290トン)に2本命中。幸喜丸は間もなく沈没し、りばぷうる丸も曳航されたが浸水がひどく沈没した3時40分ごろから発射された計5本の魚雷は、1本が海軍徴傭あとらんちっく丸(国際汽船、5,872トン)の船尾命中し航行不能に陥らせたが、沈没免れたそのほか魚雷応急タンカー白馬山丸太洋興業、6,641トン)に向かったが、命中しなかった。一連の攻撃締めくくりは「もんてびでお丸輸送船」に対す二度攻撃で、魚雷を計5本発射した命中しなかった。7月18日スヌーク40日間行動終えて真珠湾帰投した。

※この「第2の哨戒 1943年6月 - 7月」の解説は、「スヌーク (潜水艦)」の解説の一部です。
「第2の哨戒 1943年6月 - 7月」を含む「スヌーク (潜水艦)」の記事については、「スヌーク (潜水艦)」の概要を参照ください。

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