第2の哨戒 1943年6月 - 7月
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「スヌーク (潜水艦)」の記事における「第2の哨戒 1943年6月 - 7月」の解説
6月9日、スヌークは2回目の哨戒で南西諸島方面に向かった。6月24日朝、スヌークは北緯28度45分 東経127度03分 / 北緯28.750度 東経127.050度 / 28.750; 127.050の奄美大島近海で、6隻の輸送船と2隻の護衛艦、第38号哨戒艇と水雷艇隼からなる高雄行きの第169船団を発見。魚雷を4本発射し、魚雷は特務艦大瀬の前部と油タンクに命中して大破させた。スヌークは攻撃後一旦は深く潜航し、やがて潜望鏡深度に戻って観測すると、大瀬が第38号哨戒艇の護衛の下ノロノロと航行しているのが見えた。しかし、直後に航空機の制圧を受けて止めは刺せなかった。7月4日0時前、スヌークは北緯28度29分 東経124度15分 / 北緯28.483度 東経124.250度 / 28.483; 124.250の地点で、レーダーで三池港から馬公に向かっていた第172船団をとらえた。スヌークは第172船団を追跡の上、2時30分ごろから六度にわたって魚雷を発射する。2時30分ごろに発射された計9本の魚雷は、輸送船りばぷうる丸(国際汽船、5,865トン)の左舷船尾に3本命中し、残りの魚雷も陸軍輸送船幸喜丸(橋本汽船、5,290トン)に2本命中。幸喜丸は間もなく沈没し、りばぷうる丸も曳航されたが浸水がひどく沈没した。3時40分ごろから発射された計5本の魚雷は、1本が海軍徴傭船あとらんちっく丸(国際汽船、5,872トン)の船尾に命中し航行不能に陥らせたが、沈没は免れた。そのほかの魚雷は応急タンカー白馬山丸(太洋興業、6,641トン)に向かったが、命中しなかった。一連の攻撃の締めくくりは「もんてびでお丸型輸送船」に対する二度の攻撃で、魚雷を計5本発射したが命中しなかった。7月18日、スヌークは40日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。
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