第2の哨戒 1943年11月 - 12月とは? わかりやすく解説

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第2の哨戒 1943年11月 - 12月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 07:06 UTC 版)

ボーフィン (潜水艦)」の記事における「第2の哨戒 1943年11月 - 12月」の解説

11月1日ボーフィン2回目の哨戒でビルフィッシュとともに南シナ海向かった11月8日ボーフィンは5隻のスクーナー発見し、4インチ砲で射撃。3隻を撃沈したところで日本哨戒機接近してきたので潜航し、2隻はこの間逃げ去ったボーフィン夜になって浮上し航行再開した直後大型帆船発見し4インチ砲弾2発を命中させて撃沈2日後にもタウィタウィ近海で2隻の小型船発見し砲撃して炎上させた。 南シナ海入って暴風雨見舞われたものの、ボーフィンインドシナ半島沿岸部接近していった。11月26日朝、ボーフィンカムラン湾沖で輸送船団発見不意に囲まれた形となったが、相手との衝突避けられた。4時45分ボーフィン態勢立て直して泰南丸(日本製鐵、5,407トン)に魚雷を2本命中させて撃沈次いで陸軍タンカー小倉山丸(三井船舶、5,069トン)に魚雷を1本命中させ、小倉山丸は全船火の海化して轟沈した。数時間後、ボーフィン北緯13度13東経10927分 / 北緯13.217度 東経109.450度 / 13.217; 109.450の地点貨物船ファン・フォレンホーフェンVan Vollenhoven、691トン)を撃沈した。この貨物船は、1941年仏印進駐の際に日本ヴィシー・フランスから奪取した船舶であった11月28日未明ボーフィン北緯12度35東経10940分 / 北緯12.583度 東経109.667度 / 12.583; 109.667のインドシナ半島バレラ岬沖で南下してくる340船団発見ボーフィンはビルフィッシュを呼び寄せたのち小型貨客船魚雷を1本発射し次いで4時10分に志どにい丸(大阪商船、5,428トン)と捕鯨母船改造タンカー図南丸(日本水産、9,866トン)に向けて魚雷発射魚雷命中受けた図南丸は炎上しながら沈没した。志どにい丸も急激に左舷に傾いて2分で沈没した船団中の他船は威嚇射撃行い魚雷を2本発射され船舶反撃ボーフィン少なからぬ損傷与えた。この時放った魚雷目標には当たらず体当たりしようとボーフィン向かいつつあったヴィシー政権掃海艇ベリルryl)に2本とも命中し撃沈したボーフィンは日が昇ってから浮上し修理行ったが、完全な修復とはならなかったので、哨戒切り上げてオーストラリアに戻ることとなった。その途中12月2日ボーフィンは2本マストヨット発見グリフィス曰く、「日本押収され農園主のヨットだろう」。ボーフィン即座に射撃して、このヨット撃沈した12月9日ボーフィン39日間行動終えてフリーマントル帰投出迎えたクリスティは、ボーフィン今次哨戒を「全ての潜水艦哨戒の中で、もっとも古典的なもの」と評価した

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第2の哨戒 1943年11月 - 12月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/13 00:24 UTC 版)

ボーンフィッシュ (SS-223)」の記事における「第2の哨戒 1943年11月 - 12月」の解説

11月22日、ボーンフィッシュは2回目の哨戒セレベス海方面向かった11月28日ロンボク海峡抜けフローレス海に入る。その翌日である11月29日朝、ボーンフィッシュは南緯0634東経11647分 / 南緯6.567度 東経116.783度 / -6.567; 116.783の地点で2隻の輸送船団発見。2隻のうち1隻は「野島給炭艦」と推定された。ボーンフィッシュは潜航し南緯0622東経11635分 / 南緯6.367度 東経116.583度 / -6.367; 116.583の地点至った所で魚雷を4本発射魚雷は2本が輸送船すゑず丸(栗林商船、4,645トン)に命中し、すゑず丸は後部から急速に沈没していった。護衛艦向かってきたものの、ボーンフィッシュは上手くまいて逃げた。しかし、ここで悪い話があった。当時すゑず丸は546名のイギリス軍捕虜乗せていた。後年書かれ書物[要出典]によれば捕虜のほとんどは海中放り出され挙句日本人遭難者救助した護衛第12号掃海艇機銃掃射され、少なくとも250名の捕虜死んだ12月1日未明、ボーンフィッシュは北緯0022東経11924分 / 北緯0.367度 東経119.400度 / 0.367; 119.400のセレベス島トリトリ北方海域で、バリクパパンからパラオに向かう第2612船団発見追跡後攻位置についたボーンフィッシュは、22時過ぎ北緯0128東経12053分 / 北緯1.467度 東経120.883度 / 1.467; 120.883の地点艦首発射管から魚雷を6本、直ち反転して艦尾発射管から魚雷を4本発射した魚雷輸送船日遼丸(三菱汽船、2,721トン)に1本が命中し、日遼丸は沈没した。ボーンフィッシュは追撃行い12月2日明け方二度目攻撃魚雷を4本発射して1つ爆発確認した12月4日から6日まではサンダカン沖で潜航哨戒実施し次いでタラカン沖でも潜航哨戒実施した12月11日午前、ボーンフィッシュは北緯0402東経11822分 / 北緯4.033度 東経118.367度 / 4.033; 118.367のシパダン島英語版)沖で小型輸送船発見し浮上砲戦挑む。しかし、発射した4インチ砲弾57発のうち7発を命中させたものの、相手逃げ去ってしまった。12月12日午前にも北緯0232東経11815分 / 北緯2.533度 東経118.250度 / 2.533; 118.250の地点で3,000トン輸送船発見し魚雷二度にわたり3本ずつ計6本発射したが、成功しなかった。12月19日、ボーンフィッシュは27日間の行動終えてフリーマントル帰投改装訓練実施した

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