第2の哨戒 1943年11月 - 12月
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「ボーフィン (潜水艦)」の記事における「第2の哨戒 1943年11月 - 12月」の解説
11月1日、ボーフィンは2回目の哨戒でビルフィッシュとともに南シナ海に向かった。11月8日、ボーフィンは5隻のスクーナーを発見し、4インチ砲で射撃。3隻を撃沈したところで日本の哨戒機が接近してきたので潜航し、2隻はこの間に逃げ去った。ボーフィンは夜になって浮上し、航行を再開した。直後、大型の帆船を発見し4インチ砲弾2発を命中させて撃沈。2日後にもタウィタウィ近海で2隻の小型船を発見し、砲撃して炎上させた。 南シナ海に入って暴風雨に見舞われたものの、ボーフィンはインドシナ半島沿岸部に接近していった。11月26日朝、ボーフィンはカムラン湾沖で輸送船団を発見。不意に囲まれた形となったが、相手との衝突は避けられた。4時45分、ボーフィンは態勢を立て直して泰南丸(日本製鐵、5,407トン)に魚雷を2本命中させて撃沈。次いで陸軍タンカー小倉山丸(三井船舶、5,069トン)に魚雷を1本命中させ、小倉山丸は全船火の海と化して轟沈した。数時間後、ボーフィンは北緯13度13分 東経109度27分 / 北緯13.217度 東経109.450度 / 13.217; 109.450の地点で貨物船ファン・フォレンホーフェン(Van Vollenhoven、691トン)を撃沈した。この貨物船は、1941年の仏印進駐の際に日本がヴィシー・フランスから奪取した船舶であった。11月28日未明、ボーフィンは北緯12度35分 東経109度40分 / 北緯12.583度 東経109.667度 / 12.583; 109.667のインドシナ半島バレラ岬沖で南下してくる340船団を発見。ボーフィンはビルフィッシュを呼び寄せたのち小型貨客船に魚雷を1本発射し、次いで4時10分に志どにい丸(大阪商船、5,428トン)と捕鯨母船改造タンカー図南丸(日本水産、9,866トン)に向けて魚雷を発射、魚雷の命中を受けた図南丸は炎上しながら沈没した。志どにい丸も急激に左舷に傾いて2分で沈没した。船団中の他船は威嚇射撃を行い、魚雷を2本発射された船舶が反撃でボーフィンに少なからぬ損傷を与えた。この時放った魚雷は目標には当たらず、体当たりしようとボーフィンに向かいつつあったヴィシー政権掃海艇ベリル(Béryl)に2本とも命中し、撃沈した。ボーフィンは日が昇ってから浮上し修理を行ったが、完全な修復とはならなかったので、哨戒を切り上げてオーストラリアに戻ることとなった。その途中の12月2日、ボーフィンは2本マストのヨットを発見。グリフィス曰く、「日本に押収された農園主のヨットだろう」。ボーフィンは即座に射撃して、このヨットを撃沈した。12月9日、ボーフィンは39日間の行動を終えてフリーマントルに帰投。出迎えたクリスティは、ボーフィンの今次哨戒を「全ての潜水艦哨戒の中で、もっとも古典的なもの」と評価した。
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第2の哨戒 1943年11月 - 12月
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「ボーンフィッシュ (SS-223)」の記事における「第2の哨戒 1943年11月 - 12月」の解説
11月22日、ボーンフィッシュは2回目の哨戒でセレベス海方面に向かった。11月28日にロンボク海峡を抜けフローレス海に入る。その翌日である11月29日朝、ボーンフィッシュは南緯06度34分 東経116度47分 / 南緯6.567度 東経116.783度 / -6.567; 116.783の地点で2隻の輸送船団を発見。2隻のうち1隻は「野島型給炭艦」と推定された。ボーンフィッシュは潜航し、南緯06度22分 東経116度35分 / 南緯6.367度 東経116.583度 / -6.367; 116.583の地点に至った所で魚雷を4本発射。魚雷は2本が輸送船すゑず丸(栗林商船、4,645トン)に命中し、すゑず丸は後部から急速に沈没していった。護衛艦が向かってきたものの、ボーンフィッシュは上手くまいて逃げた。しかし、ここで悪い話があった。当時すゑず丸は546名のイギリス軍捕虜を乗せていた。後年書かれた書物[要出典]によれば、捕虜のほとんどは海中に放り出された挙句、日本人遭難者を救助した護衛の第12号掃海艇に機銃掃射され、少なくとも250名の捕虜が死んだ。 12月1日未明、ボーンフィッシュは北緯00度22分 東経119度24分 / 北緯0.367度 東経119.400度 / 0.367; 119.400のセレベス島トリトリ北方海域で、バリクパパンからパラオに向かう第2612船団を発見。追跡の後攻撃位置についたボーンフィッシュは、22時過ぎに北緯01度28分 東経120度53分 / 北緯1.467度 東経120.883度 / 1.467; 120.883の地点で艦首発射管から魚雷を6本、直ちに反転して艦尾発射管から魚雷を4本発射した。魚雷は輸送船日遼丸(三菱汽船、2,721トン)に1本が命中し、日遼丸は沈没した。ボーンフィッシュは追撃を行い、12月2日明け方に二度目の攻撃で魚雷を4本発射して1つの爆発を確認した。12月4日から6日まではサンダカン沖で潜航哨戒を実施し、次いでタラカン沖でも潜航哨戒を実施した。12月11日午前、ボーンフィッシュは北緯04度02分 東経118度22分 / 北緯4.033度 東経118.367度 / 4.033; 118.367のシパダン島(英語版)沖で小型輸送船を発見し、浮上砲戦を挑む。しかし、発射した4インチ砲弾57発のうち7発を命中させたものの、相手は逃げ去ってしまった。12月12日午前にも北緯02度32分 東経118度15分 / 北緯2.533度 東経118.250度 / 2.533; 118.250の地点で3,000トン級輸送船を発見し、魚雷を二度にわたり3本ずつ計6本発射したが、成功しなかった。12月19日、ボーンフィッシュは27日間の行動を終えてフリーマントルに帰投。改装と訓練を実施した。
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