第2の哨戒 1942年8月 - 9月
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「グロウラー (潜水艦)」の記事における「第2の哨戒 1942年8月 - 9月」の解説
8月5日、グロウラーは2回目の哨戒で東シナ海方面に向かった。8月21日に台湾近海の哨戒海域に到着し、2日後の8月23日夜には北緯22度50分 東経121度20分 / 北緯22.833度 東経121.333度 / 22.833; 121.333の地点で輸送船菊月丸(南日本汽船、1266トン)に対して浮上攻撃により魚雷を2本発射するも魚雷は菊月丸の下を通過したため、グロウラーはさらに攻撃しようとしたが、菊月丸は反撃しつつ巧みに浅瀬の方に逃げて振り切った。8月25日朝、グロウラーは北緯22度27分 東経120度16分 / 北緯22.450度 東経120.267度 / 22.450; 120.267の地点で、漁船団の真っ只中から陸軍輸送船三池丸(日本郵船、11,738トン)に対して魚雷を3本発射したが、これも命中しなかった。グロウラーは3時間もの間、爆雷の脅威に晒された。グロウラーは爆雷攻撃が止むと浮上し、今度は5隻の輸送船と1隻の護衛艦からなる輸送船団を発見して攻撃態勢に移ったが、53発の爆雷を投下され、この輸送船団への攻撃は失敗に終わった。間を入れず、グロウラーは北緯22度23分 東経120度10分 / 北緯22.383度 東経120.167度 / 22.383; 120.167の高雄灯台210度沖の地点で、三池丸が雷撃を受けた報告により対潜掃討中を行っていた特設砲艦千洋丸(東洋汽船、2,904トン)に対して魚雷を3本発射し、うち1本を命中させて撃沈した。グロウラーは再び爆雷攻撃を受けたが、この攻撃も何とかしのいだ。その後3日間の間に、それ以上の獲物がなかったため、グロウラーは台湾東部に針路を向けた。8月30日夜には北緯25度26分 東経122度12分 / 北緯25.433度 東経122.200度 / 25.433; 122.200の地点で7,000トンないし8,000トン級輸送船を発見し魚雷を3本発射したが、命中した様子はなかった。8月31日未明、グロウラーは北緯25度43分 東経122度38分 / 北緯25.717度 東経122.633度 / 25.717; 122.633の基隆港北東海面埠頭角沖で輸送船永福丸(山下汽船、5,867トン)を発見して魚雷を2本発射、1本が命中して永福丸は船体が2つに割れて沈没した。9月4日未明には漂流しているサンパンを発見し、浮上して3インチ砲弾を6発撃ち込んで始末した。その約3時間後、北緯25度47分 東経122度41分 / 北緯25.783度 東経122.683度 / 25.783; 122.683の彭佳嶼近海で「厳島型敷設艦」あるいはタンカーと推定される大型艦船を発見し、まず魚雷を2本発射して2本とも命中させる。次いで魚雷を1本発射するがこれは外れ、さらに1本発射して命中させ、特務艦樫野は2分で沈没した。樫野沈没の報は2日後の9月6日夜になって知れ渡り、これに伴って対潜掃討が繰り広げられたが、グロウラーはその間隙を縫って9月7日夕刻に至り、北緯25度31分 東経121度33分 / 北緯25.517度 東経121.550度 / 25.517; 121.550の富貴角70度の沖合いで輸送船大華丸(東亜海運、2,204トン)を発見して魚雷を2本発射し、1本を船橋下に命中させて撃沈した。棉花嶼近海で対潜掃討部隊らしき艦船を見た後、グロウラーは9月15日に哨戒海域を去った。帰途にも、9月16日に北緯24度25分 東経139度00分 / 北緯24.417度 東経139.000度 / 24.417; 139.000の地点で1隻の空母と2隻の駆逐艦を、9月18日には北緯24度35分 東経147度15分 / 北緯24.583度 東経147.250度 / 24.583; 147.250の地点で病院船氷川丸(日本郵船、11,622トン)をそれぞれ発見した。9月30日、グロウラーは49日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。
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