第2の哨戒 1943年11月 - 10月とは? わかりやすく解説

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第2の哨戒 1943年11月 - 10月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 15:41 UTC 版)

スケート (潜水艦)」の記事における「第2の哨戒 1943年11月 - 10月」の解説

11月15日スケート2回目の哨戒トラック諸島方面向かった11月30日スケートは5隻の軍艦マスト視認する。これは、トラックから横須賀に向かう途中空母瑞鳳雲鷹冲鷹重巡洋艦摩耶、これらを護衛する駆逐艦4隻からなる艦隊であったスケートは1,400メートルの距離から雲鷹向けて3本魚雷放射状発射したが、駆逐艦爆雷攻撃を受け潜航余儀なくされた。魚雷雲鷹艦尾をかすめ去って命中しなかった。12月21日スケートトラック北方140海里地点で、応急タンカー照川丸(五洋商船、6,432トン)を撃沈したこの頃スケートはじめとするトラック近辺アメリカ潜水艦対し、「戦艦大和やって来るので待ち伏せよ」との指令出ていた。その司令末尾には「よいクリスマスプレセントを」という文言添えられていた。4日後の12月25日明け方ごろ、スケートトラックの180海里地点でその「クリスマスプレゼント」たる大和護衛駆逐艦3隻をレーダー探知した。距離は25,000メートルほどあったが、大和ジグザグ航行行いスケート射程内に入ってきた。スケート艦尾発射管から魚雷4本を発射し、うち1本が大和の艦体後部命中した当の大和では軽微な振動し感じなかったが、護衛駆逐艦から「水柱見た」「重油流れ出ている」との報告があって、初め魚雷命中したことを知った大和は右に4度傾斜した航行支障はなく、トラック入港調査が行われ、バルジに破口が見られたほか装甲板支えていた支柱被雷ショック緩んでいたことも判明した1944年1月7日スケート54日間行動終えて真珠湾帰投艦長ウィリアム・P・グラナー(アナポリス1935年組)に代わった。

※この「第2の哨戒 1943年11月 - 10月」の解説は、「スケート (潜水艦)」の解説の一部です。
「第2の哨戒 1943年11月 - 10月」を含む「スケート (潜水艦)」の記事については、「スケート (潜水艦)」の概要を参照ください。

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