第2の哨戒 1943年3月 - 4月
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「タニー (潜水艦)」の記事における「第2の哨戒 1943年3月 - 4月」の解説
3月18日、タニーは2回目の哨戒でカロリン諸島へ向かった。カロリン諸島に向かう途中の3月27日から、タニーはウェーク島に近接。翌28日、タニーは北緯19度13分 東経166度34分 / 北緯19.217度 東経166.567度 / 19.217; 166.567のウェーク島の環礁に通じる水道近海で、入港しつつあった特設運送船諏訪丸(日本郵船、10,672トン)を発見し、魚雷を2本発射して諏訪丸に命中させ、諏訪丸は沈没を防ぐためにウェーク島の南海岸に座礁した。日本側からの反撃もあったが、タニーは難なく攻撃から逃れることができた。その後、トラック諸島沖に到着したタニーは、4月2日に北緯07度22分 東経149度18分 / 北緯7.367度 東経149.300度 / 7.367; 149.300のプンナップ島近海で「桃型駆逐艦」の護衛を受けた輸送船を発見し、魚雷を3本発射。魚雷は特設運送船第二東洋丸(澤山汽船、4,162トン)に命中してこれを撃沈した。4月7日にも、北緯08度45分 東経147度12分 / 北緯8.750度 東経147.200度 / 8.750; 147.200のトラック西方30海里の地点で探知した「ぶゑのすあいれす丸級貨客船」と「響型駆逐艦」に対して魚雷を2本発射し、駆逐艦夕霧の護衛を受けていた特設運送船(給糧)厚生丸(日本海洋漁業、8,282トン)に1本を命中させる。タニーは激しい雨により2隻の姿を見失ったが、魚雷が命中した厚生丸は軽巡洋艦長良に曳航されたものの、4月9日に沈没した。厚生丸が沈没した4月9日、タニーは北緯06度07分 東経150度28分 / 北緯6.117度 東経150.467度 / 6.117; 150.467のウェストハユ島沖で浮上中に空母大鷹、冲鷹、重巡洋艦鳥海を中心とする艦隊と遭遇した。太平洋艦隊潜水部隊作戦兼情報参謀リチャード・G・ヴォージ中佐(アナポリス1925年組)からの情報では、空母は「飛鷹型航空母艦2隻」となっていた。タニーは艦隊の前方に進出し浮上状態で攻撃を仕掛けようとしたが、駆逐艦が接近してきたので潜航する。タニーは2隻の空母の間に位置する形となって、まず艦尾の発射管から大鷹に向け800メートルの至近距離から魚雷を4本発射した。ほどなく爆発音が聞こえたため命中と判断したが、この音は実際は大鷹の手前わずか50メートルで早爆した音だった。大鷹は破片でわずかなダメージを負っただけだった。次いでタニーは艦首発射管から冲鷹に向けて600メートルの至近距離から魚雷を6本発射した。やがて3つの爆発音が聞こえ、やはり命中と判断されたが、これもまた命中音ではなく早爆した音だった。撃沈こそできなかったが、艦隊の真ん中に割って入って、両方の魚雷発射管で敵艦を攻撃した技術だけは、「プロの能力と軍人らしい攻撃性」の証明として評価された。4月11日には北緯07度48分 東経151度47分 / 北緯7.800度 東経151.783度 / 7.800; 151.783の地点で伊号第一六潜水艦(伊16)を発見し、前部発射管に残っていた3本の魚雷で攻撃したが、いずれも命中しなかった。その夜、今度は駆逐艦清波から反撃を受け、タニーは小破したが行動に支障は出なかった。帰投中にはサイパン海峡を通過して4月17日にサイパン島ガラパン港を偵察し、2隻の輸送船の存在を認めたが暗礁の存在により攻撃できなかった。4月23日、タニーは36日間の行動を終えてミッドウェー島に帰投。この哨戒での戦功に対し、殊勲部隊章が授けられた。
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